4カ国語

 今まで2度、遠くから見かけただけだから青年と思っていたが、なんと今日話をしてみたら少年だった。ただ少年と言うには、見かけはともかく会話の内容も随分大人に近かった。  背丈は180cm以上、むしろ90cmに近いかもしれない。ルックスはそのままスクリーンに出たら俳優と間違えてしまうくらいハンサムだ。ドイツから来たと言っていたからドイツ人だと思っていたが、実際にはポーランド人だった。ポーランドの女性は極端に美しい人が多いから、男性でも整ったルックスの人がいてもおかしくはない。ただ彼と話していて心地よかったのは、白人特有の傲慢さはなく、とても謙虚だった。そのくせとても親しさを込めて話しかけてきたり、返事をする。内容も的確だった。ポーランド語は勿論、ドイツ語、英語、日本語が堪能で、どんな頭の構造をしているのかと思うが、「どうしてそんなに沢山の言語が話せるの?」と尋ねた僕の質問に対する答えは「努力」だった。せめて才能と言われると諦めがつくのだが、努力と言われれば話せない人間は努力をしていないことになる。残念だが、その通りで反論できない。もっとも、彼はそんな人を傷つけるようなことは言わなかった。日本で覚えた微笑みで上手くかわしてくれた。

 日本の大学に留学していますとでも言えばお似合いだが、なんと高校生だった。それも牛窓からも優秀な子が多く通う進学校だった。こんな子がクラスにいたら女生徒は勉強が身に付かないだろう。一緒にいたかの国の子達も彼が16歳ということが分かっても一緒に写真を撮っていた。そして片言も甚だしいのに懸命に彼に日本語で話しかけていた。僅か9ヶ月で何でも正しく表現できる彼に、果敢に日本語で挑戦していた彼女たちの喜々とした姿が印象的だった。  久々に力みを解いた教会に行った。ベトナム人の新しい神父が赴任した。教会の中でしか通用しない価値観から、社会正義に基づいた価値観に帰って欲しい。疲れを癒すところで緊張を強いられるべきではない。力んで一つの方向へ向いた集団の怖さは歴史が何度も警鐘を鳴らしている。  日本語の上質さに興味を持ち、それを生み出した東洋の精神に興味を持ち、勉学へのモチベーションを高く保っている好奇心溢れる青年の笑顔に、硬直で応えるべきではない。みんなでお茶を飲んでいるときに彼が言った。「雨が降っているかもしれませんね。本当かどうか分かりませんが。聞こえるような気がします」「実際にはない音が聞こえることを日本語で表現することが出来るけれど、知っている」「分かりません」「空耳と言うんだよ。空という漢字はカラとも読むでしょう。ない音を聞くからカラ耳、空耳と言うんだよ」海外青年協力隊に入って日本語教師になっていれば良かった・・・こんなことを日本語では空言と言う。