蛍光灯

 蛍光灯までうなっている。  毎晩仕事を終えるにあたって順序が決まっている作業がある。電源のスイッチ切りだ。機械に疎く、なるべく原始的な仕事内容にしたいと思っていても、結構沢山の電気器具を使っている。まずは調剤室の2つの分包器、電子天秤、攪拌機、散剤鑑査天秤、換気扇、そして照明。これで調剤室は暗くなり換気扇の回る音や分包器のヒーターの音が途絶える。次は薬局の中。パソコンを手始めに、ソファーの前のビデオ。BGMを流しているラジカセ。ここで大きな音は消える。レジ、サービスポイント打ち器。すると蛍光灯のうなり声が初めて存在を示す。結構大きな音だったことに気づく。でも音楽や車の音、人の話し声で1日中耳には入っていなかった。そして最後に蛍光灯。薬局から裏の事務所に移り、2台のパソコン、シュレッター、電気ポット、空気清浄機。パソコンから常に出ているノイズが消えるとここでも又蛍光灯の結構大きな音が耳に入る。これだけの音がかき消されていた日中の人工的な騒音の方が気にかかる。  小さな薬局でもこれだけの手はずを踏まないと仕事が終われないのだ。正直恐ろしくなる。いったいどれだけの電磁波が建物の中を自由に徘徊し、又貫通しているのだろう。いや、むしろそれはもう池のように横たわり、僕らは電磁波の水の中に浮いているようなものなのではないか。僕らの体の中を無数の情報が素通りしていっているのではないか。パソコンに映し出される映像が僕のお腹を貫通して、僕の頭を貫通して遠く九州あたりに飛んでいっているのではないか。  その種のことに何ら知識はないが、素朴な疑問は湧いてくる。僕の体の中を電磁波が素通りして健康でおれるのだろうか。仕事が終わってからの果てしない倦怠感は、単に労働だけによるものなのだろうか。僅かこの10数年で、人類が経験したことのないおびただしい電磁波の海に暮らすことのなった。余りにも大きな便利と引き替えに、誰もが素朴な疑問に蓋をしているように思える。そして異を唱える口にも蓋をしているように思える。何もなければよいがとアナログ世代の僕は思う。未知の大海に全員で飛び込んだのだからもう陸には上がれない。  蛍光灯がうなる声を聞いたとき、遠くで点滅していた灯台の灯が消えた。