即答

 かつて僕は、息子と娘以外に一人だけ漢方薬を教えた人がいる。その女性は熱心に動物愛護のボランティアをしていて、捨てられたり虐待された犬猫の病気を治したい一心で漢方薬の勉強に通ってきた。
 当時は、ある調剤薬局の管理薬剤師をしていたが、社長令嬢とうまくいかず悩んでいた。そんな中で漢方薬は新鮮だったのかもしれない。持ち前の熱心さと誠実さのおかげで、知識の吸収はとても早かった。近い将来僕のあとを継ぐ娘のライバルになるのではと心配しなければならないくらいだった。 ところが、家庭の事情で漢方薬の勉強を断念せざるを得なくなって、僕の薬局に通ってくることもなくなり、次第に漢方薬とは遠ざかってしまった。ただ、月に2回くらいは、以前から世話をしている犬猫の患者?のために漢方薬を作りに来る。今は師匠でもないから彼女が来ても僕の薬局業務は頼むことはできないが、それでも長年管理薬剤師をした経験と漢方薬をかなり習得している力は「当てになる」。黙々と犬猫の薬を作って帰るが、その数時間僕は結構脱力している。何かあれば頼むことができるからだ。
 そんな彼女に、あれから再就職した調剤薬局の仕事について「楽しい?」と尋ねてみた。すると彼女は「面白くない」と即答した。僕は意外だった。
恐らく「板についている」仕事であるはずだし、給料もいいから楽しいはずだと思っていたのだ。だから「楽しくはないけれど、やりがいはある」くらいの返事は返ってくるものと思っていた。面白くない理由を敢えては尋ねなかったが、僕はその代わりに「ごめんね、僕は仕事がすごく面白くて楽しんよ」と答えた。
 大学受験で初めてけちがついて、それ以降、目指したもの、望むもののことごとく逆を行き、たどり着いたのが漢方薬だった。大学で生薬(漢方薬も含む)も大きな留年理由になるほど苦手だったのに、それで僕の人生が意味あるものになった。恐らくそれまでの多くのけちが肥やしになって導かれたに違いない。面白くないと即答した彼女の今が、かつての僕のけちにあたるのかどうかは分からないが、できれば近い将来「面白くて楽しい」薬剤師業務に巡り合ってほしい。そのためには多くの患者さんと「生きた会話」をすることが必要だ。必要最低限の会話をし、それをパソコン入力すれば報酬がもらえる調剤薬局レベルの会話では患者さんの役には立てない。オーナーの財布の役に立つだけでは「面白くない」のは当然だ。虐げられた犬猫と同じ地平に立とうとしたように、体調を崩した人と同じ地平に立つことができれば楽しくなる。だって、金持ちをもっと金持ちにしても、元気な人をもっと元気にしても何の喜びもない。現代はそうした職業に光が当たり、汚部はそうしたやからから支持を受けている。病弱や貧乏人が支持する奴ではない。