トイプードル

 このまま当分信号が変わらなければいいのにと思うほど、それはなんとも言えないほのぼのとした光景だった。岡山市の中心部を走る国道に合流する交差点だから少し長い赤信号にプレゼントされた光景だった。 交差点に面した商店の前の歩道で、跪いているその店主らしき人の膝の上で懸命に1匹のトイプードルが跳ねている。店主の顔をなめようとして必死なのだ。根負けしたのか男性店主はのけぞるのを止め顔をなめさせ始めた。かみしめた唇をトイプードルがしっぽを振りながら強烈になめている。店主は両手でトイプードルの背中やお腹をしきりに撫でてやっている。傍に立ってにこやかに見守っている女性がヒモを握っているから飼い主なのだろう。短い足を懸命に延ばししっぽを激しく振りながら店主の唇をなめているその犬は、いったいどのくらい店主が好きなのだろう。犬を飼っている僕の推測だと、店主と会い撫でてもらうことは毎日の散歩コースの楽しみの一つの筈だ。種を越えてどのくらいの愛情が往来しているのだろうかと犬に尋ねてみたい気きがした。  何故犬は人間がこんなに好きなのか。人間も又こんなに犬が好きなのか。いつの頃から一緒に暮らすことになったのだろう。動物は他に一杯いるのに、何故犬が選ばれたのだろう。何故人間が選ばれたのだろう。その種の解説書をひもとけば教えてくれるのだろうが、その答えを知りたいのではない。ただただ驚きなのだ。時として同じ種以上の結びつきを感じる異種同志の相思相愛が不思議でならない。種を越えて共存しているケースは恐らく他の動物間でもあるだろうが、生存のための補完関係ではなく、思いで結びついていることが圧巻だ。 後ろの車のクラクションに促されて左折しようとした。すると飼い主とその犬が横断歩道を渡ろうとした。断然僕の方が早く横切れるのだが敢えて目の前を渡ってもらうことにした。日課を終えた犬は慣れた足取りで横断歩道を渡る。自分が高級犬だと決して気がつかないのがいい。人間が勝手につけた価値観が、自覚されないのがいい。鏡がなければつまらないことで優越感や劣等感に翻弄されることもない。自分を知らないことは自分を知り過ぎていることより、時に勇敢で時に独創的だ。