帰化

 何人かのフィリピン人とたわいもないお喋りをしていた時、ある女性が「この人は、帰化したのよ、すごいでしょう」と言った。すごいでしょうと言われても何がすごいのか分からなかった。数人の、日本人男性と結婚している女性達が集っていたのだが、「他の人は帰化していないの?」と尋ねた僕に「しない、しない」と身振りを加えて強調した。帰化と言うのが恐らく国籍を手に入れると言うことぐらいの想像で「どうして他の人は帰化しないの?」と尋ねたら「私達、フィリピンが好き」とお互い顔を見合わせて返事をした。「でも彼女、日本大好き」と教えてくれたことで初めて「すごいでしょう」の意味が分かった。帰化するかどうかはそこの国が好きかどうかによって決めるのだ。スポーツ選手が時々帰化するかどうかで報道されるから、遠い世界の話のように思っていたけれど、実は身の回りにあることで、それもごく単純な動機で決めるものだって事が初めて分かった。余りの無知ぶりに我ながら呆れるが、こうしてくだらないお喋りの中にも勉強になることはいっぱいある。通訳を介しての会話だから歯がゆいことは多いが、同じ人間としての共通の部分が、国民性をはるかにしのいでいることも経験する。若干の造りと肌の色は違うが、所詮同じ人間なんだと思うことがしばしばだ。 その彼女はヘルパーの資格を取ろうとして勉強している。本を見せてもらったが、日本人が使う物で、専門的でかなり難しい。読めない字や分からない語句に黄色で線を引いてあったが、1ページに一つか二つだけだった。それも例えば「打診」等という専門用語だけだった。後はほとんど理解できるみたいだ。20年以上日本にいたらこんなに日本語を理解できるのかと、ほとんど羨望の眼差しに近い。どうしてそんなに日本語が分かるのと尋ねたら、彼女も他の女性も「勉強」と答えた。只住んでいるだけでは言葉って簡単には身に付かないのだ。それなりにみんな努力して身につけているのだと、これも新たなる発見だった。  何が嫌いと言ってコツコツ努力することほど嫌いなものはない。幸運にも努力なくして手に入るものだけでなんとかやってくる事が出来たから、今更心にも体にもむち打つつもりはない。外国で暮らすほどの気力も体力もなかったから、僕にとって帰化なんてあり得ない話なのだが、行き当たりばったりの目的のない人生は、それこそ気化して何も残らないだろう。おばちゃん達の屈託のない母国愛も僕にとっては「すごい」の範疇なのだ。