別人

 結局はその詩を、その人には見せなかった。  まさか米原出身の人が、僕の薬局に来てくれているとは思わなかった。お嬢さんの皮膚病から始まって今はご本人の世話をしているが、10年くらいは通って来ていると思う。出身地の話をするほど親しくはないが、と言うよりおよそ薬局で出身地の話など滅多にしない。1年に1人くらい話題になることもあるが、それはほとんど強烈な訛り故で、元々その辺りまで僕の興味は広がらない。  この女性に、ある理由でカルシウムを多く含んだ食事を摂るように指導した。すると岡山市内から来ている人には珍しく「私は小魚が好きだから、良くカルシウムは摂っているはずです」と言う返事が返ってきた。街に住んでいる人はどちらかというと魚を食べる機会は少ない。食べても外用を泳ぐ魚の切り身が多い。だからこの方のように小魚が好きなどと言うのはかなりまれなのだ。驚いている僕に言葉を続けた。「私は琵琶湖の傍で育ったから、アユをよく食べていたんです」彼女はそこまでしか言わなかったのだが、珍しく僕がそれ以上を尋ねた。「琵琶湖の傍ってどこなの?滋賀県?京都?」と。この地理感のなさにもっと絞って答えなければならないと思ったのか「米原です」と答えた。一気にローカルな答えになったが、新幹線が止まるから誰にでも分かると思ったのだろう。「米原か、米原か・・・」と何度もくり返したから、何をそんなに感激しているのかと思っただろう。  学生時代、牛窓に帰るときに、いや大学に行くときも、必ず中継駅として降り立ち、ホームで電車を待っていたことを彼女に話した。ある年、雪で電車が止まったときに一気に浮かんで書き留めた詩に、アパートに着いてからメロディーをつけ、その後数年多くの人の前で歌った。詩にしたためた光景を、僕は今でも鮮明に覚えている。米原というほとんど日常耳にしない言葉で一気にあの頃に気持ちが戻って、パソコンに書き写しているあの詩を開き、目の前で米原出身の人に読んでもらおうと思った。しかし、そこで僕は躊躇った。その詩を読んだ僕と、今彼女の前で漢方薬を投与している僕とはほとんど別人なのだ。一番の違いは、当時の感性のかけらも残っていないってことだ。そんな僕が、米原を詠んだものを探し出して見せても何ら訴える力はないだろうと思った。それよりも重篤な病気を抱えて、それでも気丈に明るく暮らしているその人の今と明日をより快適にすることの方が、圧倒的に大切で意味のあることだと思ったのだ。僕のセンチメンタルな想いなど薬局の中で何の意味もないと思った。  まるで不自然だったかもしれないが、話題を急に変えて、いつもの田舎薬剤師に戻った。ふと聞こえた懐かしい言葉に、心を乱された自分が恥ずかしかった。