過疎地

 岡山市の中心部に住んでいる親子が漢方薬の相談に来てくれた。どなたかが紹介してくれたらしい。電話で予約してくれていたので「スッと来れましたか?」と尋ねると、親子で顔を見合わせて「途中すごい田圃が広がっていて本当に薬局があるのか不安になりました」と答えた。地方に住んでいる人にとっては珍しい光景ではなく、その間を縫って進むことに何ら不安は感じないのだろうが、人家が途絶える光景に慣れていない人には心細かったのだろう。 それにしても夜でなくて良かった。夜だったら諦めて帰ったかもしれない。この辺りの日没後は都会では深夜だ。いや深夜と言うより明け方に近いかもしれない。民家から漏れる明かりを頼りに目的地を捜すのは困難だ。  牛窓はバイパスを利用すれば岡山駅まで40分くらいで行けるのだが、いわゆる町の発展からはことごとく取り残されてきた。何か話が持ち上がるとことごとく反対し結局は人口が流出し続けた。残されたのは県南唯一の過疎地という珍しい呼称だ。過疎地はほとんど山間部に存在するのだが、海沿いの町がその仲間入りしている。ただ、さすがに瀬戸内海に面しているから過疎地と言っても温暖で明るい。山は低く海は波も穏やかで暮らすにはいいところかもしれない。  親子は、転落すれば車が大破しそうなスーパー林道を想像したのか、はたまたいつまでも発見されないダム湖を想像したのか、足許から谷底が見える吊り橋を渡らなければならないと思ったのか、渡し船で渡らないといけないと思ったのか、平家の落ち武者が襲ってくると思ったのか、八つ墓村のたたりがあると思ったのか。  実は僕はこのギャップを楽しんでいる。こんな田舎の薬局を不安のうちに仕方なく訪ねてきてくれている人達に、想像以上の成果を持って帰ってもらうことに喜びを覚えている。如何にもというような恵まれた土地、如何にもというような建物、如何にもというような風貌、如何にもというような値段、そんなものがいっさい無い僕は、如何にもより優る効果を上げることが喜びだ。如何にも・・・は僕は全く肌が合わない。何ら演出することなく只ひたすらに治ってもらう、それだけだ。