ちょいさ

 車で15分くらいの所にまた巨大なドラッグストアが開店した。僕は全くその情報は知らなかったのだが、心配してくれた人が教えてくれた。ドラッグストアは何故か花の名前が好きらしくて、ヒマワリとかコスモスとか言うらしい。ひょっとしたらその両方がその町には揃ったのかもしれない。牛窓から外に出ていく道は北回りと南回りの両方があり、以前からドラッグストアが林立していた南回りと合わせてこれで全ての道を固められたことになる。逃げ場を失い下水管に逃げ込んだどこかの悪党みたいに追いつめられている。 皆さんの心配をよそに、昨日の開店日も、僕の薬局にはいつも通り人が来てくれた。おまけに、まさにその開店した町からも、新たな漢方薬の相談患者さんが二組来てくれた。多くのドラッグストアや薬局を通り越してこの田舎にやってきてくれる。ドラッグストアで解決できるものは極限られたものだから、僕にとってはいくらその手のものが増えても実は関係ないのだ。  最近辞めた電気店の主人に僕は頻りに店舗を再開してと頼んでいる。ちょっとした故障の時に頼める人がいないのは不安だ。遠くの量販店は些細な故障で来てくれるのかどうか心許ない。故障どころか機械にただ付いていけなくなっただけで呼んだりしたら怒られそうだ。出張費も取られそうだし。同じような町民の不安感は薬に関してもあるのではないかと最近思っている。意地でもこの過疎地に残らないといけないと思っている。幸運にも、遠くから多くの方が訪ねてきてくれるから、こののんびりとした綺麗な空気の中で、心を清くして患者さんに向き合えたらいいと思っている。ここにいるからこそ出来る仕事がありそれを目指さなければならないと思っている。  白装束で御輿を担ぐ男達の声が近づいてくる。ここに色々な理由で残り暮らしている人達だ。とんでもない幸せを手にした人はいないが、「ちょいさ、ちょいさ」と繰り返す声に紡いだ人生模様が絡みついている。