フットサル

 熱心なようで熱心ではない、無関心なようで無関心ではない。ほどほどの感じがよい。このお母さんは数年前に薬局に入って来るなり「早く来てみたかったんです」と嬉しくなるような言葉をかけてくれた。漢方薬に興味があって、本当の漢方薬を飲んでみたかったと言ってくれたのだが、その言い方からすると世の中には本当でない漢方薬が存在するようで、ちゃんとそれは見抜いている。 以来本人はもとよりご主人と2人のお子さんの漢方薬を作らせてもらっている。各々が症状が悪化して耐えれなくなったら1週間分くらい取りに来る。ほとんどのトラブルがそれで解決している。同じ学区のお母さんを紹介してくれたりしているからある程度の評価は獲得できているのではないかと思う。  塾や習い事を否定していたお母さんが、今年お子さんをサッカーのスポーツ少年団に入れたらしい。入れたと言うよりお子さんがやりたいと言ったから入団させたらしいのだが。ところがお母さんは、優しすぎるお子さんが、相手のボールを取りに行かない事を悩んでいる。コーチにはその事をとがめられるのだがなかなか出来ないのだ。「お母さんは、どんなお子さんの姿を望んでいるの?」と尋ねてみた。すると「プロの選手みたいに相手のボールを積極的に取りに行く子であって欲しい」と言った。「それが出来ないことは欠点なの?」と重ねて尋ねると「そう言う訳ではないけれど」とトーンが少し落ちてくる。お母さんは分かっているのだ。お子さんのグラウンドにおける欠点こそが彼の長所だって事を。サッカーなんて日常のほんの一部だ。それが少し上手かろうが下手だろうがほとんど生活に影響ない。寧ろ優しすぎる個性こそが彼の日常のほとんどを支配する。だから決して欠点ではなく最強の武器なのだ。勇敢に相手に立ち向かっていくばかりが全てではない。相手を傷つず思いやることが出来るのは、それこそずっと変わらないでほしい個性だ。  僕はサッカーやバレーボールで多くの少年少女と接してきて、その後のことも多く知っているが、当時華々しかったスター少年少女が必ずしもその後順調に育っているとは思わない。寧ろ授からなかった運動神経にむち打ってやっとの事でついていっていた少年たちの方が、たくましく暮らしていることを知っている。その他大勢でグランドやコートに立つこともなく、ベンチで、下手をしたら観客席で応援を余儀なくされていた子供たちがたくましく暮らしていることを知っている。持って生まれた才能に守られることもなく、逃げ出したい気持ちを抑えて鍛えられた心で、寡黙なたくましさを手に入れたのを知っている。幼い心でヒーローをもり立てる役回りを演じた子供たちが、その後たくましく一家の主になっていることを知っている。  常々お母さんには「褒めて褒めて褒めまくって育てて」と口を酸っぱくして言ってきたが「今日、抱きしめて褒めたら、一杯手伝ってくれた」と嬉しそうに教えてくれた。多くを望んで大切なもの失うのも、少しを望んで多くを得るのもどちらも簡単だ。「実は私がフットサルをやりたいんです」と目を輝かせた母親は決して前者にはならないだろう。