合理性

 なんとも優しいお子さん達だ。何年にも渡って体調不良で困っているお母さんに「お金を残しても仕方ないんだから、ヤマト薬局で漢方薬を早く作ってもらっておいで」と背中を押してくれたらしい。勿論病院にはかかっているのだけれど、気鬱や自律神経失調を併発していたらちょっとやそっとでは治らないだろう。もう何年も処方せんを持ってきているから、治っていない、いやひょっとしたら症状が進行しているのは知っていたが、こちらからそんな人に漢方薬を勧めるのは御法度だ。処方せんを発行している病院に失礼だし道徳上それは出来ない。ただ、向こうから所望されれば話は別で、体調不良の克服を病院の治療を助けるようにお手伝いすればいい。大切なことはただ一つ、患者さんが健康を取り戻し、心優しいお子さん達の肩の荷が下りること、これに尽きる。 ただ、この例は恐らく珍しい方にはいるのではないかと思っている。どちらかというとその逆で、病気のことより財布のことが気にかかる関係の方が多いと思う。経済的に余裕がある家庭でも同じ傾向がある。病院で治ろうが治るまいが、保険診療以外の出費は惜しいのだ。国民皆保険が果たした役割はとてつもなく大きいが、それが壊した心のあり方もとてつもなく大きい。票稼ぎの受け狙いによる福祉?のばらまきで、すさんだ権利だけが闊歩している。感謝を忘れた人間こそが道路の真ん中を闊歩している。 いいお子さんですねと言うと「優しい、いい子達よ」と笑顔を取り戻した。忘れがちなその笑顔が誰かのちょっとした会話だけでも取り戻せられるのにと思ってしまうが、現代人は全てそれらを病気と考え、医師や薬が治すべきものとしてしまう。何か違うと最近それに抗っているが、僕の方が正しいと思えることもあるし、自分の非力さを見せつけられることも多い。田舎の方に薬剤師として育てられたお返しの時期に入っているから出来るだけ良い仕事をしたいが、時代の合理性の方がはるかに足が速く待ってはくれない。不器用な生き様などで救えるほど時代は立ち止まってはいないのだ。