浪費

 僕は毎日多くの方に漢方薬を作っているが、漢方薬を勉強し始めた当初から現代薬で治るものまで漢方薬を飲む必要は無いというスタンスをとり続けている。何がなんでも漢方薬というスタンスの多くは患者さんの意向より薬局側の意向が反映しているような気がする。経済が理由でそうするのか、漢方お宅でそうするのか、はたまた実力があり過ぎてそうするのかしらないが、患者さんにとっては無駄な出費のような気がする。 最近は違う理由でこのスタンスを強化しないといけないと思っている。それは圧倒的な資源の枯渇だ。それによる価格の高騰も気にかかる。庶民の手の届かなくなることは必至だし、将来の人達が飲めなくなるのも必至だ。ごく普通の収入で飲める時代がいつまで続くのだろうか。そればかりが気にかかる。今も多くの若い薬剤師や医師達が漢方薬の勉強をしているが、知識は習得しても使う材料がないなんて笑い話にもならない時代が早晩やってきそうな気がする。この警鐘を鳴らすのは、長い間自由に漢方薬を使わせてもらった人間の義務だ。何の心配もなく自由に作り推奨できた時代の薬剤師の義務だ。  テレビでサギまがいの宣伝をし、ドラッグストアに陳列する無駄。セールスの言われるまま処方し、効果を出せれない医療の無駄。この2大浪費をまず慎まなければ、僕ら田舎の薬局が抵抗しても意味はないが、それでも尚僕は、漢方薬でしか治らない人だけに漢方薬を使いたい。石油からいくらでも合成できる化学薬品とは価値が違う。強欲が未来の人のものまで奪い取ることは許されない。何百万年も管理しなければ安全を確保できないものを残して、身体によいものを奪う、なんて罪深い時代に巡りあわせたのだろう。