忍耐

 その種の番組に、10秒も僕はチャンネルを止めておくことが出来ないのだが、やたら馬鹿芸能人が集まってものを食べているシーンが多い。ものを食わせて素人並のくだらない話をさせ番組もどきに仕上げればスポンサーが付いて商売になるのだから、努力や工夫が必要のない気楽な商売だ。  僕は、いや僕らの世代はまだ質より量の時代だったから、美味しいものを食べることより満腹になることの方を優先した。ご馳走を1回食べることより、1ヶ月分の飯の方が有り難かった。その癖は幸運にも未だ抜けていなくて、何を食べてもおいしい。もっと幸運なのは年齢と共に満腹がいとも簡単に手にはいるようになったことだ。ちょっと食べるだけでお腹が一杯になるのだ。だからどんな豪華な料理をテレビで見せられても欲しいとも思わないし、羨ましいとは思わない。むしろ、その食事を馬鹿芸能人に食わすより公園にでも持っていって、その日の食事にもありつけない人達に配れって言いたくなる。  良くもあんな番組にまで金を出す企業があるものだと感心する。企業名が流れれば流れるほど、その企業の評価は下がる。いったいどんな人間が、どんな層がその種の番組を見ていると想定しているのか知らないが、人を馬鹿にするにも程がある。食うに精一杯の人間なんかテレビを見る資格もないとでも言っているようなものだ。いずれ反撃を食らい 早晩テレビ局もスポンサーも自壊していくだろう。  今は底辺と言われる人達もおとなしくて従順だが、忍耐が無限に用意されているとは限らない。一人一人が孤立して耐えているから何のインパクトも与えられないが、いずれ意志の疎通が整ってくると力を持つことになる。そうあるべきだしそうなるだろう。さもないと、ますます下りの電車だけが満席になる。途中下車が保証され、上りの電車に乗り換えることが出来なければ旅は楽しみではなく失意の逃避行になる。 今もコンビニで廃棄される弁当より軽い命が横断歩道を渡る。