夜陰

 聞いたぞ、聞いたぞ、聞いてしまったぞ。 夜陰に紛れていつもの散歩に出た。薬局の前の水道工事は佳境に入っていて、大型機械が夜の間も撤去されずに放置されたままだ。それをガードマン二人が交通整理しながら守っている。東西に二人別れて、トランシーバーか携帯電話か知らないが絶えず連絡を取り合いながら、赤く光る警棒みたいなものを振り回している。その片方のガードマンの立っているところまで偶然僕は草むらを歩く事になる。だから僕が近づく足音も聞こえなかったのだろうし、気配も感じなかったのだろう。僕が彼に一番接近した時、1台の車が西からやって来た。するとガードマンは「はい、不審車両発車(はっしゃー)」とやった。 当然不審車両でもなんでもない。夜の9時だから家路を急ぐ車と理解するのが一番当たっているだろう。恐らく夜の単調な仕事の気付けに、彼らが考え出したジョークか隠語だろう。岡山弁ならアクセントは「しゃー」の方にあるのが普通だが、ガードマンは「はっ」の方に置いた。幹線道路とは言え、その時間帯になると通る車も少なく、民家の窓から漏れる明かりくらいしか人気はない。そんな中に立ち続けていくらの稼ぎになるのか知らないが、楽しいようには見えないし、やりがいがあるようにも見えない。同じ頃、食卓を囲む家族もあり、飲み屋で酒をあおっている人もあり、一振り何十万円のスポーツをしている人もあり、くだらない芸を垂れ流しにしている人もあり、揚げ足を取って金を稼いでいる人もあり、パソコンの前で上がり下がりする資産を数えている人もある。 職業に貴賤があるのかどうか僕には分からない。きれい事では語りたくない。ただ収入の貴賤は甚だしい。多くの賤に属する人達にいつまで忍耐を強いるのだろうと思う。赤色灯を振りながら何を考えているのだろう。近づく幸せ色のヘッドライトをうらやむのか、通り過ぎる孤独なテールランプを哀れむのか。それとも何も考えないことが時間を食らう最良の手段なのか。