城山

 城山と書いて「じょうやま」と読む。沢山のおむすび山に周囲を囲まれ、手を伸ばせば数匹のウサギ雲に手が届きそうだった。見下ろせば川沿いに急ごしらえで連結された色違いの電車が行き先不明で警笛を鳴らす。川から山肌を伝って吹き上げる風は、慌てて5月の暦に滑り込んで気持ちが良かった。  誰が何の勢いで発案したのかは知らないけれど、県北の盆地の街で野外コンサートがあった。その「誰か」の確実な一人である鍼の先生に誘われて、牛窓からは丁度県内の対角線上にある新見って言う街に初めて行った。同じ県内なのに新幹線で行けば十分東京に着けるくらいの時間を要した。まして行きがけは、中国自動車道という高速道路を利用したのが裏目に出て、ゲゲゲの女房のロケ地行きの渋滞に巻き込まれて、初めて高速道路の渋滞を体験した。  公園に着いたときには当然帰りが心配になるくらい首や肩が凝っていて、演奏を愉しむ余裕もなかったのだが、それを察した鍼の先生が、後ろに回って鍼をしてくれた。こんな贅沢はない。恐らく鍼をしてもらいながら唄を聴いたのは日本中で僕が最初ではないか。鍼治療と唄のコラボ。僕が起業家なら何かヒントにするかもしれない。 Song巣 城山うたの種コンサート 「いつの頃からだろう。春の風を感じなくなったのは・・・肩を寄せ合って生きていた昔は、貧しくても心は豊かだった。別に今の時代が嫌いなわけではなく、まして何かを変えようなどとは思ってもいない。ただあの頃吹いていた春の風をもう一度感じながら、誰かの心の中に届けばいいと思う。遠い昔に見た夢と、頬をくすぐる春の風が、どこか似ているような気がして、一歩踏み出してみたくなった。風は緑の中で夢を誘い、木立は鳥とたわむれる。優しさはいつか春の風と共に、しっかり大地に根ざそうとしている」  ポスターより抜粋したこれらの言葉が表すように、あの頃を共有できる世代の出演者、あるいはスタッフ、あるいは聴衆が沢山いて、5時間もの間ほとんど帰る人がいなかったところを見ると、誰かの心ではなく、誰もの心に春の風は届いたのではないか。   僕はずいぶんとこの種のものから遠ざかっていたので、再発見したことがある。いや初めて気づいたのかな。演奏者もPAも僕はプロとの垣根がとても低くなっていると思いいながら聴いていた。もし今日出演した10組の人達に、それなりのプロのスタッフが付いたら、それはそれで通用するのではないかと思うくらいのレベルだった。逆を言うと、現在プロとして活躍しているグループも所詮この程度だって事だ。だからプロの演奏を聴いてもほとんど感動することもないし、逆に素人の人達の演奏を聴いて感動したりする。恐らく唄の世界も本当の良い作品を作ることが出来る人などほんの一握りなのだろう。後はほとんど素人程度のものを粉飾して商品にしているに過ぎないのだろう。 「OhちゃんバンドWithわかこ」が僕の知り合いの鍼の先生のバンドだ。彼が6人位を従えてやっているのは見たことがなかったので、まずその迫力に驚いた。バンドって楽しそうってのが素直な印象。そして聴衆を愉しませる要素が確実に増える。嘗て何十年前僕が唄っていた頃は、言いたいことを不揃いなメロディーに乗せ勝手に唄って舞台から降りていた。今から思えばひょっとしたらメロディーなんていらなかったのではないかと思うくらいだ。わかこの三線のソロの終わりと共に力強いドラムが入ってきた。僕はその展開の時ぞくっと鳥肌が立った。今日のコンサートで鳥肌が立ったのはその一瞬だけだ。その音は空気を共振させぼくの心臓の壁を打った。これは打楽器の特徴だ。内臓まで届くものは打楽器の他にはない。見ていてとても印象に残ったのは、若いリードギター。直立不動でギターを操る。リードギターの印象を完全に破っている。人と同じである必要はない。体をくねらせるのが恐らく定番なのだろうが、彼は違った。その凛とした弾き方に感動。  ぼくは今日、何かを求めて往復7時間を費やした。いい言葉に出会えるのか、いいメロディーに出会えるのか、いい人に出会えるのか。でも、芝生の上で席を立つこともなくずっと聴いている人達を見ていて、又その中の一人になっている自分を発見して、何も求めなくたっていいのだと途中から思い始めていた。何かをするときに必ず意義を考える、そんな窮屈な気持ちでは手が届くところで遊ぶウサギ雲には申し訳ないと思った。そして今日確実に、僕は又人が好きになった。北の街の人達に乾杯?完敗?