手招き

 「小児喘息だった頃を思い出してます。 孤独で苦しかった頃を」たったこれだけの文章の中に、どれだけの思いがこもっているのだろう。呼吸が苦しくて息も絶え絶えに遅い朝を待ったのだろう。誰に訴えても、誰を恨んでも仕方ないことも幼い心で分かっていたのだろう。その頃巡り会っていれば少しは手伝いが出来たのにと悔やまれるが、所詮田舎の薬剤師に何が出来るとうぬぼれをいさめる僕の中の別の声も聞こえる。 連休期間を幸せに過ごすことが出来る人が多いと思うが、中にはこのように悲しみを秘めた言葉が届く。僕の職業柄このような方がほとんどなのだが、映像に映し出される幸せな光景とは余りにもかけ離れている。いつかあちらの側に行ってくれればいいが、こちら側が得意な方も多い。多くの叡智が日夜研究に勤しんでくれてはいるが、その恩恵がいつ彼ら彼女らに届くのだろう。  「死にそうな思いで学校にはいっています」別の子からの言葉の便り。学校はいつから死にそうな思いで行くところになったのだろう。彼女だけではない、何万、何十万の子供が「死にそうな思いで」毎日家を出ているのだ。無いものがないくらいの現代で、何が学校にはないのだろう。あるいは何がありすぎるのだろう。この息苦しさは何なのだろう。この生きにくさは何なのだろう。  大いなる希望ははばかれる。ささやかな望は口ごもる。何も生まない忍耐も時にはあるのだと誰かが言ってはあげないのか。僕は決してこちら側で手招きをしているのではない。