就活

 黒いスーツに、黒いズボン。髪はぴたっと頭にくっつけたような形。入り口に立ったその女性を見て見覚えはあるのだけれど、一瞬誰か分からなかった。ニコッと彼女がしたところで分かった。良く知っているお嬢さんなのだが、姿形でごまかされた。まるで別人のように見えた。これがいわゆるリクルートファッションらしい。就職活動の帰りに漢方薬を取りに来てくれたのだ。 かなり立派なお家のお嬢さんなのだが、時代には勝てず就活で苦戦しているらしい。明日も試験を受けに行くと言う。その会社はこのあたりでは有名な山陽新聞なのだが、ぼくが「コネはないの?」と尋ねると、お母さんが冗談とも本気とも取れるような言い方で「誰か紹介してください」とお願いされた。あてにされたら俄然僕は頑張るタイプだから即座に「山陽新聞を毎朝配っている人なら知っているけれど、紹介しようか」と答えたが、もう答える途中から笑いがこらえきれずに、その短い返事さえ何度も途中で息を継いだ。しばらく笑いが止まらずに、他人の苦況をネタに不謹慎にも笑いの壺に入ってしまいそうだった。笑いの壺に入ってしまえば僕は立っておれないから危ないところだった。もっともそのお母さんもおおらかな方で、一緒に笑ったが。いやお嬢さんも一緒に笑った。不謹慎もなんのその、腹筋が痛くなるほど笑わせてもらった。こんな人間関係の中で長年仕事が出来たことは幸せこの上ない。その上でほんの少しお役に立てれば申し分ない。  就活と言えば今日、東京のある女性から助言を求められた。過敏性腸症候群歴30年の女性だが、2つの所から仕事の内定が貰えそうだと言うのだ。一つはファミリーレストラン、一つは診療所の受付事務。どちらがいいかというのだが、僕は当然やりたい方を選択するように助言した。静かなところが苦手だから前者を選ぼうかと言うのだが、そんな消極的な理由で選択しては悔いが残る。いつまでも安全地帯に留まっていたら、折角の飛躍のチャンスを失ってしまう。何歳になっても留まっていてはもったいない。多くの自主規制でそのチャンスを逃がし続けて来たのだから。今では妹みたいなその女性が診療所の受付に座っている姿を想像しただけで嬉しくなる。 悲喜こもごもも、桜の花びらが落ちる速さをしのがねば、全て日常の手のひらで受け止めることが出来る。