好奇心

 もう朝陽がさしてこようかという時間でも町はまだ物音を立てるのは躊躇っている。遠くで山鳩が時折喉を鳴らす。どこかでたくましく生き延びているのだろう。幼い時にはその鳴き声で朝を知る日々だったのだが。 鳥は優雅に飛んでいるのではなく、ひょっとしたら懸命に力を振り絞って飛んでいるのではないかと、最近思うようになった。人が歩くように、魚が泳ぐように、蛇が這うように、それなりに力を消耗しながら飛んでいるのではないかと思うのだ。テニスコートが鳥の通り道になっているとは思わないのだが、何故か頭上を大きな鳥が飛んでいくことが多い。低いところを飛んだ場合はもちろんだが、意外と高いところ、テニスコートを照らす照明灯の上でも、ブーンブーンと空気を押しのける羽音が聞こえることがある。  そう言えば落ちた羽を何度か拾ったことがあるが、骨は意外としっかりしている。もっとも昔はそれをペン代わりに使っていたのだから当然と言えば当然なのだが。又渡り鳥の筋肉には特別な成分も含まれていると聞く。そんなことを考えると一見優雅に飛んでいる姿がいとおしく見えるようになった。一生懸命、それこそ懸命に羽ばたいているのだ。僕らが懸命に生きているのと同じだ。風を捕まえて滑空するのは体力を消耗しないための知恵なのだ。僕らが時に上手く世間を渡っていくのと同じだ。時に大きな鳥に襲われ地上に墜落したり命を落とすのも又同じだ。  毎朝、鳥の声を聞き、鳥の姿を見かける。恐竜の生き残りと言われるその風貌には馴染めないところもあるが、小さな命を感じて僕の汚れた心を浄化してくれる。彼らより僕が優っているとは思えない。鳴き声一つで飛び去る純情に鈍足の好奇心が置き去りにされる。