泣き笑い

 総合病院の待合室の隅に、まるで食堂の見本のように料理が展示してあった。食堂にしては質素な料理だなと思っていたのだが、よく見てみると糖尿食の見本だった。1日1200kcalを摂るにはどの程度の内容かを啓蒙するためのものらしい。 見てすぐ思ったのは、なんだ我が家はずっと糖尿食だったのかと言うことだった。糖尿の方に対する食事指導だから、恐らくカロリーの摂りすぎに気をつけなさいと言うメッセージなのだろうが、この程度摂ってもいいのなら我が家には関係ない。寧ろもう少し贅沢な食事にしてもいいかもしれない。1日のうちでパンも食べれるし、肉も卵も、刺身まで食べられるから、僕ら世代にとっては充分だ。  米は完全栄養食だから米だけで生きていくことは出来るのだろうが、学生時代、米に塩をかけるだけで暮らしていてかなり体調を崩した。若かったから、辛うじて身体が黄色の注意信号を発してくれて助かったのだろうが、今の年齢であれだけのことをしていたら腎臓がすでにやられているだろう。僕が若い方をお世話するときに希望を持って臨めるのは過去の自身の体験による。決して強靱な身体ではく、色白で痩せこけて、風に飛ばされそうだったが、それでも本当の病気にならずに一歩手前で何故か引き返すことが出来た。  目の前に海が、背後には重量野菜の産地が広がっている町に住んでいるから、やろうと思えば自給自足だって出来る。困難に直面しても、この町の人は生き延びれると思う。  老人が集まって、起きろと勇ましく声をかけているが、倒した張本人が声をかけているのだから、迂闊には乗れない。ギラギラ光る額に糖尿食でも教えてやりたくなる。どう見てもカロリーオーバーだ。若者が草食で老人が肉食で、冨がそのまま食事内容にも反映している。日本人はその中間を取って、魚に菜っぱが丁度よい。威張りもせずへりくだりもせず、心の中も魚と菜っぱだ。その上にわさびをちょいときかせて、涙を流しながら笑っているのが丁度よい。いい人生って、所詮泣き笑いなのだから。