清流

 工事を初めてもう1月近くなるのに、この後まだ8月まで続くのだそうだ。あまりにも進展が感じられないから尋ねてみたら、そう答えられた。毎日薬局の前を中心に左右100メートルくらいが交通規制にかかり、ガードマンが3人で1日中交通整理している。 しばしば問題になる、道路を何度も掘り起こすという「業者のための工事」ではないから、不満は誰からも聞こえてこないが、それにしても長いものだ。トンネルを掘るのでもないのにそんなに長くかかるのだろうかと素人には解せない期間の長さだ。このまま牛窓町全部にこの工事の恩恵が行き渡るのは何年後なのだろう。ひょっとしたら、高額な各家の負担金を払っただけで、設備を使わずに亡くなってしまう人も多いのではないかと懸念する。そう言ったことまで行政は考えているのだろうか。  ある過疎の町で何故若者が住まないかを調査したところ、トイレがくみ取り式で子供達が怖がるってのが上位の理由にあった。それを町の人達が自分たちの労力を提供して解決したら、若者の定住が増えたってのをテレビ番組で見たことがある。別にそれに刺激されたのではないのだろうが、この町でも全戸がその様な設備に変えることになった。我が家では30年以上前に変えていたので、ありがた迷惑なのだが、台所ゴミも浄化できると言うから、瀬戸内海を守るために勿論協力する。ところが、意外と高額なこと、工期が後何年もかかることを思うと、やはり恩恵に預かれない方(後の世代がいない高齢者のお宅、収入がぎりぎりの方)には十分な配慮が望まれる。  今日偶然、浄化槽の掃除に来てくれた人に、合併槽の契約をぎりぎりまでしないでと頼まれた。仕事が無くなるからだそうだ。なるほどそうだ。個別の浄化槽なら彼らと契約して定期的に掃除してもらわないといけないが、下水処理場が出来れば契約は必要ない。処理場が出来ると水道代が2倍に上がりますと教えてくれたのも、契約を先延ばしして欲しいからだ。彼らの仕事ももう何年かでこの町から消えるのだろうか。  清潔で便利は人情より大切ならしい。不潔で不便は忌み嫌われ置き去りにされた。置き去りにされた集落で腰を折り坂道を上る老婆に育てられた人は数多いる。清潔で便利を手に入れればそれで全てが許されるわけではない。山に湧く水も清流のままでは命を育めない。