失投

 送られてきた医学雑誌に過敏性腸症候群の特集が載っていた。ある大学の教授が監修したものだが、読んでいてなるほどなるほどと頷くことが多かった。そのなるほどは「だから僕みたいな田舎の薬局に最終的に頼ってこられるんだ」と言う逆説的な納得なのだが。 1995年にはすでに診断基準が提唱され治療のガイドラインもまとめられたらしい。これによって、全国一律に正しい治療が受けれることと建前上はなっている。どの様な薬を使うべきか詳細に決められている。良く聞く名前がずらっと並んでいる。消化管運動調整薬(セレキノン、ロペミン、イリボー)ポリフルコロネルトランコロン、抗ウツ薬など。僕の所に来るIBSの患者さんはほぼ全員上記の薬を飲んだ経歴がある。不運にもそれらが奏効しなかった人ばかりだ。言い換えると、教科書どおりには解決しなかった人達ばかりだ。特効薬がない反面、命にはかかわらない病気だから、症状の完全消失を目的にするのではなく、症状を持ちながらも生活していることを評価してあげて寄り添う治療をするべきだと提言がなされていた。  偉い先生の言うことだが、ちょっと首を傾げたくなる。患者の立場から言うと病院にかかって、病気と共存して生活の質を高めなさいと言われても、特に若い人がこれから何十年も下痢や便秘や腹痛やおならの多発やガス漏れ症候群を抱えて頑張って生きなさいと言われても、路頭に迷ってしまうだろう。やはり彼らが望んでいるのは完治だし、出来れば治療者側もそれを目指すべきだ。又患者さんに寄り添うべきだと言っても、実際にそんなことが忙しいお医者さんに出来るのだろうか。パソコンばかり見て私の方を見てくれないと嘆く患者は多い。そんな情況の中で寄り添ってもらうのはかなり期待薄だ。僕みたいな暇な薬局なら出来るが。 過敏性腸症候群で悩んでいる人がもう何十人我が家に泊まっていっただろうか。僕に力がないから神業のように治してあげることは出来ないが、それこそ寄り添ってあげることは出来ると思っていた。何も難しい理屈でそうしたのではない。青春期、誰にも相談できずに悶々と暮らしたあの頃を、同じように追体験している青年がきっと一杯いると思ったのだ。当時、それだからこそ見えたこともいっぱいあったが、決して生産的な日々ではなかった。幼い頃海中から水面を見上げているように、不確かな精神の隔離の中で息も絶え絶えだった。ごく普通に憧れ、ごく普通を演じ、ごく普通に敗れていた。見えない敵といつも戦い、ごくありふれた普通すら手にすることが出来なかった。  「一人で悩まないで」は僕の青春時代の痛恨の失投なのだ。あの時誰かがこの一言をかけてくれていたら、今頃僕は西島秀俊になっていた。