一念発起

 帰るまでに何回も同じ言葉を繰り返した。僕は彼の生活環境を知らなかったから意外でもあったが、心からのエールも送りたいと思った。 「家に帰っても、どうせ一人だから」繰り返された言葉だ。何となく奥さんはいないのかなと思っていたが、ご両親もいないらしい。「どうせ一人だから」という言葉は、投げやりに出た言葉ではなく、切実な言葉だったのだ。彼が早く家に帰っても仕方ないと言ったのは、仕事帰りにスポーツジムに通っている理由を教えてくれたときだ。もう何年も喘息の漢方薬を発作が出たときだけ作っていた。主に春と秋に集中していた。90Kgに近い体重があったと思うが、僕が節制を促しても、発作が出るときだけ苦しいので聞く耳を持たなかった。それが半年ぶりに昨日やって来たのだが、驚くくらいやせていた。一瞬病気を患ったのかと思ったが、実は一念発起して、酒と肉を控え、スポーツジムに通い詰めているというのだ。  「寝たきりになったら困るから」一念発起の理由がこれだった。40歳を越えているのかどうかと言うような年齢でこんなことを考えるのかと思った。まるで初老の独り者が言うようなことを言った。その神妙な顔つきが痛々しかった。独り身で、毎晩スポーツジムで汗を流して帰宅する姿など、一見独身貴族そのもののように見えるが、裏にこんな真剣な思いがあるとは誰が気がつくだろう。  調剤室で僕が薬を作っている間に、ある老人と今し方僕と話したと同じような内容の会話をしていた。その老人のお子さんが、肥満で多くの病気を抱えている。いみじくも息子さんと同じくらいの年齢だ。体型も似ているし、息子さんと同じように障害を抱えている。痩せる方法をかなり具体的に尋ねていた。障害が異なるから同じ方法をとれないことが分かり少し残念がっていたが、先に帰った老人は、薬局を出るときにその男性の手を取って優しく「頑張ってな」と言っていた。  予期せぬ二人の交流に、薬局が一瞬にして心温まる舞台になった。瀬戸内の冬にも雪が舞うが、やはりこのように桜咲く景色の方が気持ちいい。