糸電話

「僕はしたことがないので良く分かりませんが、ゲームってよほど楽しいのでしょうね。世界中で恐らく何億人かの人が楽しんでいるのだから、お嬢さんがそれから抜けられなくても不思議ではありません。敵も然る者で知恵を絞って虜にしようと思っているのでしょうから。でもいくら彼らが頑張っても、人生のゲームより面白いものは作れないでしょうが。○○ちゃんがそれに気づいてくれればいいのですが。人生、負けゲームばっかりだった僕からのメッセージです。指先のゲームで勝つより人生のゲームで負ける方が面白いですよ。ヤマト薬局」 これはゲームに浸っている我が子を嘆いたお母さんに宛てた返事の一部だ。僕の子供二人はほとんどゲームをしなかったから、余りにも縁遠い話題で関心はなかったのだが、書きながら色々なことに気がついた。その前に余談だが、恐らく二人がゲームをしなかったのは、スポーツに打ち込んでいたことや、勉強を親から強いられなかったから逃げ込むところが必要なかったことや、視力のために良くないと本人達が気がついていたことなどによると思う。  さて話題を戻して。返事を書きながら「無理だわ」と言う敵前逃亡みたいな感慨に襲われた。莫大な人の力と資本を費やして如何に面白いものを作ろうかと必死になっている企業に、幼い自制心が勝てるはずがない。最初から勝負は決まっている。ゲーム機メーカー、あるいは作者の勝ちだ。勝負にならない。力づくで取り上げれば、よけい地下に潜るからいよいよ手に負えなくなる。余程プロ集団に優る面白いものを提供しない限り引き離すことは出来ない。さて、そんなものがあるのだろうか。見渡しても、欺瞞と虚栄と弱肉強食がはびこっている世間で、若者の興味をひき、正義感を導き出し、血湧き肉躍る日常を提供できるようなものがあるだろうか。ひょっとしたら、若者の方がそんなものあるはずがないと冷静に見ているのかも知れない。その結果、器用な指先さえあれば裏切られない世界の中を彷徨った方が余程いいと悟っているのかもしれない。  ああ、やはりこれでは敵前逃亡だ。妙案は思いつかない。僕の負けゲームの人生を晒しても何の説得力もないし、勝って他者を傷つけたこともなかったなどと諭しても、携帯電話の時代に糸電話をしているようなものだ。あのちょっとだけよく聞こえる微妙さが良かったのになぁ。