森進一

 なかなか面白いことを娘が言った。  往復4時間近くかかるところに新幹線でわざわざ講演を聴きに行ったのだが、鳴り物入りの講師のつまらない講演内容を評価しての感想だ。ある薬を日本一販売するというふれ込みなのだが、何のことはないそのカリスマ性で売っているだけで、内容にはとても満足できなかったみたいだ。「カリスマと本物は全然違う」と言った言葉が、なかなか的を射ていて面白いなと思ったのだ。 僕も若い時には休みを利用して出来るだけ講演を聞きに行った。日帰り可能なところなら、息抜きも兼ねて貪欲に出かけた。色々な講師がいるので、講演内容は薬局に帰って一応実験してみた。それで牛窓の人に使うべきかどうかを考えた。例え売ることが出来ても効かなければ、同じ狭い地域の人達だから見放されてしまう。圧倒的な消費者を抱えている大都会なら売り逃げもあり得るだろうが、1万人にも満たない小さな町では、実力不足は致命傷だ。そんな危機感が若い時からあったから、勉強会には貪欲に出かけた。立地のハンディーを克服するには実力を磨くしかないのだ。そんな背水の陣は僕の若い頃から続き、知らず知らずに娘にまで受け継がれているのだろう。負け惜しみではなく、困難だが裏表が通じないとてもやりがいのある環境を与えられていると言ってもいい。それは勉強を続けるいとも簡単な動機付けにもなる。 僕には尊敬する師がいる。娘は毎週土曜日その師のお宅にお邪魔して仕事ぶりを学ばせてもらっている。親子2代に渡って知識を教授して頂いた恩のある方だが、知識以外にも多くの人生訓も教えて頂いた。その最たるものがカリスマにならないことだから、皮肉なものだ。本物はいつも謙遜で、誰もその存在に指摘されるまで気がつかないくらいだ。本物は人が作り出すもので自分が作るものではない。逆にカリスマは、自分が作っている。自分で懸命に演出している。そんな虚像を真似ても何ら達成感はない。とてつもない実績より、生活の中から安心して出費できる金額で、病院で落ちこぼれた命に関わらない程度のトラブルを的確にお世話することの方が余程身の丈に合っている。  背伸びしてみる海峡は、森進一だけでいい。・・・・・古う~