往診

 夕方ある老人から電話がかかってきた。息子さんの心の動揺が激しいから薬局に連れて行くと言った。老人の息子さんだから、既に壮年期に入ろうとしている。僕は仕事をしながら、やって来た時の対処の仕方をシミュレーションしていた。と言うのは息子さんは本当にガラス細工で出来たような心臓の持ち主で、傷つけないようにこちらも細心の注意を払わなければならない。と言っても僕が堅い話をするわけではない。うつむいて身動きしない彼を笑わせ、笑顔で帰ってもらうだけだ。  待っていたが全然やってこない。薬局を閉める30分くらい前になって電話がかかってきて「先生、まだ来てもらえないんかな?」と催促の電話があった。その前の電話では息子さんを伴ってやって来るというものだったので、訪ねる事は頭に全くなかった。ただ、かなり2度目の電話は切羽詰っていたので薬局を閉めたら訪ねると答えた。訪ねて僕はいったい何をするのだろうと思っていたら老人が薬について質問をしてきた。それに答えると「そのことを教えてもらえばいいんです。わざわざ来ていただかなくてもいいですから」と言われほっとした。  翌日老人が1人でやって来た。そして昨日は迷惑をかけたと謝った。「先生に往診を頼むなんてワシはどうかしていた。もう訳が分からんようになって、往診を頼んだりしたんじゃ。すみませんでしたな。先生は往診をするような仕事じゃないのに」と冷静に昨日の状況を教えてくれた。老いた男親が、ハンディーがある息子さんの世話をしている。よくあんなに出来るものだと感心していつも見ていたが、老人はこの数年で一気に歳をとったように見える。恐らく息子さんを世話するという一念で毎日を暮らしているものと思うが、日々の体の衰えには抗えない。嘗てはできたことが肉体的にも精神的にも出来なくなる。僕は老人の心が折れるのではないかとそれが怖い。そして心が折れたときに想像したくない最悪の方法をとってしまうのではないかと不安だ。多くの修羅場を潜り抜けてきたような人だが、実はその時も精一杯演技していたと嘗て聞いた事がある。皆が想像しているほど強い人ではない。  今はマスコミが発達しているから全国の色々な出来事を知ることが出来る。多くの不幸が毎日生まれる。昔からこの国はこんなに生き辛かったのだろうかと考えてしまう。統計でもあれば説得力があるが、所詮なんとなくの世界だ。いつでもふとしたきっかけで立ち直れないほどの不幸と遭遇する。現代人は結構危うい毎日を過ごしている。共助の習慣が消え、国の支援が目減りし、どうやってまともでおれるのだろう。今この瞬間も、日本のどこかで家庭が壊れつつある。どうぞあの父子がともに笑える日々が来ますように。