年下

 ひときわ日焼けして茶色になったカルテに、又今日も一行書き込んだ。何気ない作業だがふとその人物の表紙を見てみると、昭和52年から始まっている。それ以来幾度と無く書き込んでいる。当時僕は26歳で、OTCしか武器は無かったから、今思えば恥ずかしいような内容が書き込んである。それでも当時は多くの人が僕の薬局を利用してくれていた。当時は健康食品なんてわけの分からないものはなかったから、多くの街の薬局が一応全うな応対をしていたのだと思う。  対象の女性はいつも電話相談で、その後お嬢さんに薬を取りに来させるのだが、しっかりしている。自分を自律神経失調症と判断し、不快症状の解説を求める。95歳にして電話で何不自由なく話せて、それで自律神経失調症とは信じられないが、それを否定すると落ち込むので、そうかもしれないねくらいでとどめておく。ちょっとだけ病気の余地を作ってあげておいたほうが居心地はよいみたいだ。ただし、どう転んでも将来、僕などには真似のできない健康体なのだが。  こうした日に焼けたカルテは何枚かあり、健康長寿に役に立ってきているのだなと感慨深い。だいたい、薬局を利用する人は、経済に余裕があり、健康志向が強い。ここ10年以上定員120人くらいの特別養護老人ホームの入所者の薬を作らせてもらっているが、嘗て僕の薬局を利用していた入所者の飲む薬は圧倒的に種類が少ない。ホームに入るまでほとんど自立していた人ばかりだから、何種類もの病気を抱えていないし、そもそも病気は自力で治してきた人だから、自然治癒力を鍛え、免疫を獲得してきているのだと思う。  お世話し始めたときのその方の年齢を僕は越えているんだと、不思議な感覚にも襲われたが、時の流れは残酷なものだ。今朝、福島の詩の朗読をしている吉永小百合の特集番組を見たが、どうして彼女が僕よりずいぶん年下に見えるのだ。せめて時の流れくらいは平等に・・・