「歳をとって体力が落ちてきたからやった」なんとも身につまされるコメントだ。舞台の上で演奏し唄うことを2時間続けようとしたら恐らく大変な体力を要するのだろう。よくできるよなと、多くの壮年歌手を見ながら思っていたが、やはりかなりの重労働だったのだ。若い頃にはあり得ないことだが、今はまず出来るかどうかを予測する作業がどんなことを始めるにも伴う。そして必然的に多くのことに臆病になってしまう。素人ならいざ知らず、プロはそれでは生きていけないし、契約の世界だから、懸命に我が身にむち打ってステージに上がっていたのだろう。 薬は、疲労などで落ちた体力を元通りには出来るけれど、老化を防ぐとか、持っている能力以上に元気には出来ない。その辺りが出来るのはやはり同じ薬という字を使うけれど「ヤク」なのだ。舞台の上で息絶え絶えに唄っても様にならないから、彼らは必死なのだ。決して快楽を求めたとは思えない。 擁護するつもりはないが、同情は十分する。多くの歌手やスポーツ選手が今は未知の世界をそれぞれが歩んでいる。昔なら当然引退している年齢になっても、現役を続けている人が多いから。過去に例がないから、それぞれの毎日が前人未踏なのだ。朝目が覚めれば想像もつかない日が待ちかまえているかもしれないのだ。不安を取り除くには、そして墜ちてはいけないスーパーマンであるためには、読み方の異なる薬に頼らざるを得なかったのだろう。  芸能界やスポーツの世界と同じように、庶民の世界でも前人未踏が日夜続けられている。昔には考えられないような年齢の方があらゆる分野で活躍している。せめてまっとうな読み方の「薬」で補修する程度なら世間を騒がすこともないだろうが、素人の世界でも「薬」を読み違えて利用している人がいる。頑張れない若者と歯止めが効かない壮年が役回りを交換して「薬」に頼っている。