カーリング

 僕にとって一番力を出せれるのは、一番力が抜けたときだと思うのだが、プロの選手はその辺りがさすがに違う。集中力を高めて寸分の誤差も克服するのだからさすがにプロだ。鍛錬の賜なのかもしれないが、素人は集中すればするほど手元は狂うものなのだ。そんなことを思ったのは、オリンピックのカーリングの試合を見ていたときだった。緊張すればするほど手元は狂う筈なのに、彼女たちは違った。恐らくcm、いやそれ以上の精度を競っているのだろうが、あんな場面では手が震えて、とんでもない方向に石が滑っていくのではないかと懸念するのは、やはり素人か。 数年前まで僕もバレーボールをかなりハードにやっていたが、その時の不思議な体験を印象深く覚えている。僕はほとんどの日曜日を色々な研究会の参加のために費やしていた。日帰りできるところを選んで県外に出かけていた。ただ一つだけ条件は夜のバレーボールに間に合うために7時半には牛窓に帰れることだった。それだけバレーボールは楽しかったのだろう。30年毎日曜日絶えることなく続けた習慣だ。その為に勉強会が終わるやいなや会場から駅まで、駅の構内、あらゆるところを走った。さすがに新幹線の中は走らなかったが、心はいつも先頭車両に乗っていた。時間を逆算してのぎりぎりの行動が30年続いた。そんな分刻みのスケジュールだから、着替えるのも束の間、牛窓に帰るやいなや試合が行われるコートの上に立つこともしばしばあった。そんな時は勿論夕食は食べていない。不思議なことに、何時間も講演会場や乗り物の中で腰をかけて疲労困憊で、おまけに空腹感にさいなまれてやっとコートの上に立っているような状態の時が、一番アタックが強く打てたのだ。やっと間にあったという安堵感だけで、緊張も出来ない体力不足の中で打つアタックが一番強かった。力が抜けるとはこのことかと、その場で思うことがしばしばだった。準備万端で試合に臨んだときよりはるかにプレーが力強かった。  この状態をプロの選手は意識的に作り出すことが出来るのだと思う。集中すればするほど無の境地に近づくのではないか。カーリング女子の真剣な眼差しの中に、僕らとは違う境地を見た。所詮僕らの頭の中は「軽ーりんぐ」なのだ。ついでに人間性までもが「軽ーりんぐ」なのだ。