野球

 こんなに幼い子が野球をやっているのかと目を見張った。学校が休みの朝、目の前の道路をある時は数人の集団で、ある時は一人で、小学生が道路の端をランニングしながら通り過ぎた。最後尾の辺りはどう見ても低学年のようにしか見えない。ユニホーム姿がりりしいと言うよりも痛々しく見える。最初に走り去った少年との体力は雲泥の差がありユニホームすら重たそうに見える。 休日だから恐らくスポーツ少年団の活動なのだろうが、指導者はかなりの繊細さを求められるだろう。低学年用に軟式ボールが作られているのなら心配はないが、あの体で上級生と同じボールを投げるのだろうか、肩は壊しはしないかと老婆心が覗く。 もっとも僕が息子と娘のためにそれぞれサッカーとバレーボールのスポーツ少年団を作った時など、何も分かってはいなかった。ただ自分がそれが出来ると言うだけで、又親馬鹿だけで作ったのだから危ういものだ。運良く僕のチームの中で熱心な人達がいて、実質は彼らが熱心に指導をしてくれた。おかげで、預かっている子供達に怪我をさせることもなく、少しは役に立てたのかという満足感で卒業することが出来た。世の中には、とんでもない正義感や愛情で考えられないくらいのボランティアが出来る人が一杯いるが、同じボランティアという名前を使ってもらうのは気が引ける。比べるのも失礼なほど、所詮自分の遊びの延長でしかなかったのだから。寧ろ子供達に遊んでもらっていたという表現の方が正しいかもしれない。 恐らく一番幼い子供達が肩をゆらしながら走り去った後を見ながら、生命力のすばらしさを感じた。走るって事は実は大変な作業だと思う。走れる間ってのは結構その人の生命力の指標になると思う。「走れている間は大丈夫」そんなくくりかたもできるくらいのもののような気がする。「運動会でダイナミックに転ぶようになったら終わり」こんなくくり方が出来るように。僕も数年前バレーで腰を痛めてから走ることがなくなった。実際今走れるのかどうかも分からない。走ってみたいがあの時のようにその場に倒れ込むかもしれない。それが恐ろしくて未だ走っていない。あれ以来僕の走りは「血走る」ことと「先走る」ことだけになってしまった。