凶行

 クリとモコのおかげで犬のかわいさは良く分かるのだが、猫も又それに劣らず可愛いらしくて、多くの人が飼っている。ところが猫も又犬と同じように、虐待を受けたり捨てられたりして悲惨な状態にいるものが多いらしい。どうしようもない人間の性か、犠牲になるそれらの数は数えきれない多さなのだろう。  2週間に一度やってくる薬剤師は犬のシェルターの世話をしている。とても熱心な女性で、そのことに関して以外にも一つ一つの動作に優しさが醸し出される。どことなくボランティアなどをする人は違うんだと、その薬剤師を見る度に思うのだが、単なる買いかぶりかもしれない。恐らく本人はもっと力を抜いて励んでいるのだと思うから。  最近処方箋で薬を取りに来た夫婦が、薬剤師が置いてある犬猫の募金箱を見つけて話しかけてきた。いつもなら薬を手にするとすぐに帰るのだが、若手ではなく僕が応対したから、お喋りをする気になってくれたのかもしれない。  「こんなものを見てしまうと駄目」とシェルター運営の寄付を仰いでいるパンフレットを見ながら奥さんが言った。その夫婦は嘗て住んでいた都会で捨て猫の世話をしていたらしい。牛窓に引っ越してきて、自分たちの住環境もとてもいいらしいが、野良猫にとってもいいと言っていた。危険な目にあったり、あわされたりすることが無いというのだ。猫の目線から判断するようなことは普通の人間はしないが、長年世話をしていたら自ずとそうなるのだろう。  猫に対してまったく知識がない僕に、あるエピソードを教えてくれた。野良猫は勿論人間にはなつかなくて、下手をすると引っかかれてしまうのだが、愛情をかけてやると、段々と接近してきて、頭や体を撫でることが一度でも出来たら、後はすっかり身を任せて、すり寄ってきたり、仰向けに寝ころんでお腹を撫でさせたりするらしい。餌をやったり、避妊手術をしたりとなかなか出費も馬鹿にならないらしいが、それを止める気配は全くない。  僕は猫の話を聞きながら、人間のことばかり考えていた。凶行に走る若者達のことを考えていた。幼い時に、思いきり大切にされた経験が少ないと、どうしても甘えベタになり孤立を深めていってしまう。そうした人があまりにも多いような気がする。愛され大切にされた経験がなければ、他人を愛したり大切になんて出来ない。見よう見まねの原体験がないのだから不可能だ。いつの日か、孤立が狂気に変質してしまわないかと気がかりだ。