逆襲

 「われは海の子しらみの子」さすがに海辺の町で育ったから、泳ぐことは生活の一部で特別なことではない。プールなどなかったから、泳ぐのは海でだ。小学校の水泳の時間も海水浴場まで歩いていっての授業だった。もっとも、学校で水泳を学ぶ必要はなく、近所のガキ大将が夏休みには海に皆を引き連れていき、自然に水泳を教えてくれた。小学6年生のガキ大将が、幼い子を何人も引き連れて海水浴場に泳ぎに行くのだから当時の親は勇気があった。  この風景は戦後の子供たちの風景だ。今日もう少し前、戦前の子供たちの風景を教えてくれた人がいて・・・完全に負けた。  終戦前には前島にはもう持ち舟がなくなっていて、勿論当時フェリーなんてものはない、子供たちは夏には、頭に教科書をくくりつけ泳いで本土までやってきたそうだ。大井川の渡しではあるまいし、思わず噴出したが、よく考えてみれば噴出す距離ではない。前島と本土は、一番近いところが300メートル位だが、ただの300メートルではない。瀬戸だから流れが速く、時にサメ(この辺りではフカと言う)も出る。実際にお尻をかまれることもあったらしいが、サメといっても小さいらしく、怪我をする程度で済んだらしい。  牛窓の子なら誰だって泳ぐことが出来るから、なんでもない距離だが、下手をすれば流されるし、サメにもやられる。僕が青年だって出来ない。それを少年達がやっていたのだから・・・いい時代だ。  今僕がいるところから見回せば当時も、僕が少年の頃も無かったものばかりだ。パソコン、テレビ、CD、明るい照明、血圧計、車、エアコン、ボールペン、カッターナイフ、レジ、調剤機、FAX、コピー・・・上げればきりが無い。むしろ何があったのだろうと言ったほうが早い。でも不思議なことに「何不自由なく」暮らしていたのだ。心を患う人も少なかったし、学校や職場に行けない人も少なかった。果ての無いいじめも少なかったし、家族を殺したりすることも少なかった。物を手に入れるたびに不自由を手にしてきたのかもしれない。果てしない欲望の逆襲は既に始まっている。