感謝

 向こうは建物の中からガラス越し。僕は車の窓ガラス越し。日中だったが太陽が丁度真上にある時間帯だったので鏡のようにはならずに僕は家の中まで見えた。向こうも僕の車の中まで見えていたのだろうか。駐車場から車で出る僕を数人の若者が微笑みながら手を振ってくれた。僕はハンドルを握っているから手は振れないが、何度もおじきを繰り返し出ていった。毎日曜日、偶然玄関先で遭遇すれば繰り返される光景なのだ。わざわざ彼らが見送ってくれるのではなく、偶然の産物が時々このような心地よい体験をもたらせてくれる。  いったい、日本人の青年とこのような自然な交流が出来るのだろうか。僕は職業柄多くの若者と接するし、30年間バレーボールをやっていたから若者と接する機会はかなり多かったと思うが、なかなか日常の平坦な情況の中で交流はしづらかった。ある情況の中での交流は勿論必要から行われていたが、必要を越えてはぎこちなかった。彼らとは言葉はほとんど通じないのだが、目をつむればいつもニコニコしている彼らの顔ばかりが思い出されるのだ。南の国の人達だから本質的に明るいのだろうか。父親くらいの年齢の僕に気楽に声をかけてくれたり、握手をしてきたり、どこかに置いてきたような体験を再現させてくれる。思えば仕事ばかりして、このように気の休まる交流はほとんど機会がなかった。接点はほとんどが薬だった。知識欲だけで交差する人生に体温はなかった。孤独な作業を繰り返してきたような気がする。ノートに書き留めた我流の処方集だけが、かろうじて足跡を残しているが、それを捲る人が果たしているやらいないやら。 早い人で3ヶ月、長くとも1年くらいしかいないが、多くの青年と同じ空気を吸った。まだ見たことのないところで育ち、まだ見たことのない生活ぶりをしていた彼らが、遠く日本の地方都市で町の景色を鮮やかにしてくれる。それ以上に、町の人達の心を和やかにしてくれていると思う。この国を去るときに決まって彼らが言うのは、滞在中親切に接してくれた事への感謝と共に「この町での日々を決して忘れはしません。皆さんの幸せを祈っています」と言う言葉だ。祈るという習慣がある彼らにはとってつけた言葉ではなく自然と出てくる言葉だと思う。  元々身につけていなかったのか、あるいはどこかに置き忘れたのか、自然な彼らの振る舞いに対して僕のそれは如何にもぎこちない。僕にも嘗て群れて暮らしていた頃もあるが、あのさわやかさはどうひいき目に見ても備えていなかった。それはそうだろう、進むべき目標もなくただうつむいて歩いていただけなのだから。  バックミラーの中でも手を振る青年達に、こちらこそ感謝。