意地っ張り

 牛窓に赴任してきた先生が、それ以後ずっと僕の薬局を頼ってくれることはままあるが、この養護の先生は特別関係が深い。余程実力があるのか、牛窓を出てから国立の学校の養護教諭をしている。運営の基盤が異なるところを移動すると言うことがあるのかどうか知らないが、実際に今その様な学校で働いている。 正月休みは僅か3日間の僕の薬局でも、休むとなれば不安を持つ方もおられて、今日は朝から忙しかった。先生が来られたときも2人が煎じ薬が出来るのを待っていた。順番通りに応対したから大分待ってもらったが、その待って頂いた先生は数分で用が済ませられる簡単なトラブルだった。直前のおばあさんが、薬が出来てから、バスが来るまで待たせてと言って腰掛けているのを知っていたのだろう、「どちらの方面か知りませんが、一緒に車に乗って帰りませんか?」と尋ねてくれた。おばあさんは遠慮して何度も断っていたが引きずる足で一緒に出ていった。あの歩き方では、バスに乗り込むことも大変だろう。その症状を分かっておばあさんを誘ってくれたのかどうかしらないが、恐らくおばあさんも助かったに違いない。僕にバスの乗り降りの仕方の説明を詳しくしていたから、それを不憫に思ってのことだろう。やはり聞こえていたかな。  実は今薬局をどの様にしたらいいのか迷っている。勿論もうすぐ世代が変わるから、僕の問題ではないのかもしれないが。何か理想があって、意図してなった今の形態ではない。がむしゃらに働いて結果的に今の形態になっただけなのだ。僕にとっては心地よいがこれが理想とは思えない。現実に日本中に展開されている多くの他の薬局が理想とも思えない。いびつな形で日本の薬局は今展開されている。薬局の経営者には都合がいいかもしれないがとても住民にとって理想とは言い難い。何でも相談でき、何でも対処でき、誰にもこびず、住民の役に立てる。こんな当たり前のことが結局は一番難しい。どうあるべきか、どう変わるべきかなどと漠然とだが毎日のように考えている。そんな中で今日目撃した先生の何気ない物言いが新鮮だった。元々ぼそぼそと話される先生なのだが、何の気負いもなくごく自然に老婆を誘ったように見えた。親切を押しつけるのでもなく、相手に断る余裕も十分与えていた。結局老婆は、家ではなくもっと先のショッピングセンターまで甘えることにしたのだが、そんなやりとりを見ていて、そんなやりとりが出来る薬局こそ大切にして、多くの今日と同じような心の交流が生まれる薬局を目指すべきではないかと思った。営業のための都合が全てに優先しているのが今の薬局だと思うのだが、そうではない意地っ張りな薬局があっても良いのではないかと思った。