シンガーソングライター

笑い声の素敵な君へ  さっき、電話で事実と異なったことを言ったので訂正しておきます。僕は浪人して成績がむちゃくちゃ下がったので、子供達には浪人してまで大学に行かなくていいと言っていました。現役で通ったところでいいと言うことです。その通りに子供達はしましたが、大学は勉強するところではないと言う僕の言葉も信じ切って息子は僕と同じように留年しました。(娘は留年すれすれ)親が浪人、留年の両方を経験しているので子供達はプレッシャーは少なかったと思います。大学では二人ともよく運動しよく遊んだみたいです。僕と同じように勉強だけしなかったのでしょう。僕は電話で言ったように、浪人して4月から大晦日までパチンコの修行に励みました。朝から晩まで下宿代や食費を使って遊んでいました。勉強したのは年が明けて2ヶ月だけです。それでも現役の時に落ちた大学に通ったのは勉強する科目を絞ったからです。大学では、髪を腰まで伸ばし、ほとんど浮浪者のように暮らしていました。パチンコとフォークソングに明け暮れていました。良く薬剤師になれたと思います。今でも夢でうなされますが、なれた理由が分かりません。牛窓を離れて10年後、失意のうちに帰って薬局を継いだのですが、薬剤師より商売人の気質の方が重宝される時代でしたから、何となく居心地の悪さを覚えながらも結構がむしゃらに働いたような気がします。その後幸運にも漢方薬に出会ってやっと初めて、薬剤師になって良かったと思えました。だから本当にやりたいことに出会えて、やっと心から勉強したいと思えたのは30歳を越してからなのです。今多くの人に漢方薬を作っていますが、僕の財産は、僕が多くの失敗を重ねたことだけなのです。僕が優秀で、挫折も経験することなく上手く生きて来れていたら、貴方にも会っていないし、多くの人達の役にも立てていません。貴方は体調を崩し、心も鬱々と暮らしているかもしれませんが、断言します、それこそが近い将来貴方の最高の財産(武器)になります。・・・人生はダラダラと続いている冗談なのさ、それもとびっきりたちの悪いやつさ・・・ああ、僕もシンガーソングライターを続けていたら今頃は・・・・チョット顔が整っていなくて、チョット音程がはずれて、唄うにつれて観客が帰ってしまうだけだったのに。諦めるのが早かったかな。 ヤマト薬局