強者

 強者もいるものだ。何年もかの有名なデパスと言う安定剤を1日15錠飲んでいたそうだ。よくそんなに手に入ったねと聞くと、しまいには医者もくれなくなったから、友人に患者になってもらって、騙して手に入れていたそうだ。思えば滑稽なものだ。全く健康な友人がどこかの医師の前に行き、憂鬱そうな顔をするか、肩が凝るとかの演技をして、薬をもらうのだろう。恐らくデパスが効くとかなんとか上手く言って、目的を達成していたのだろう。その処方箋を持って門前の薬局に行き、色々と飲み方の指導を受ける。騙すつもりだから誰も見破れないだろう。 その患者を誰も責めることは出来ない。とてもデリケートな神経の持ち主の彼は、ただ薬の力を借りてでも真面目に働きたかっただけなのだ。職業運転手の彼はある事故がきっかけで、ガードの下を通ることが出来なくなった。ガードが近づくと、脈が速くなり、冷や汗が出て、呼吸がしにくくなる。失神しそうになるのを必死でこらえるのだ。これではとても運転なんか出来ないからと受診したら出されたのがデパスだったのだ。当然最初は規定量で効いていたらしいが、段々と量を増やさないと効かなくなったらしい。そのあげくが1日15錠になったのだが、そこまで来るとさすがに本人も不安になり、家族の薦めもあって入院治療して薬を切ったらしい。 入院中はくぐるべきガードはないから、デパスも1ヶ月くらいで切れたらしい。ところが退院して1週間もしないうちに、もうかつての不安感に襲われるようになって、デパスが欲しくて欲しくてたまらなくなった。今にも手を出そうとしている時に僕のことを近所の人に教えてもらったらしい。  僕は彼の言うことがすべて理解できた。いや喋る前から手に取るように分かった。1ヶ月ぶりに復帰した職場で、環境が何ら変わっていないのに、心が落ち着くはずがない。職業運転手も不況の影響を受けてこき使われているに違いない。その辺りのことを尋ねるとその通りですと言った。僕の漢方薬は、体力をつけ、肝っ玉を強くするからねと、まさにデパスとは反対の治療をするからねと念を押して1週間分だけ煎じ薬と粉薬を渡した。「いつまでかかってもいいですから治るまで頑張って真面目に飲みます。もう絶対あの薬に手を出したくないんで」と言うから、「その辺が、自分の悪いところだ。何でもかんでも頑張ってはいけない。仕事が終わったらパチンコ屋にでも直行したら」と答えた。  3日目に、薬はまだあるのにやってきた。「ちょっとイライラするのが減ったみたい」と上々の滑り出しを伺わせる反応を語った。そして今日薬が切れたからやって来て「薬を飲まずに何年ぶりかに高速を走れました。それと一番気になっていた身体中が堅くなって、体も手も震えて字も書けないのもかなり治った気がします」と教えてくれた。どんな治療でも、良い方に舵が切れればしめたものだ。後はそちらの方に自ずと船は進んでいく。「なんか元気になったから、粉薬の方はいいです」と続けた彼にちょっと驚いたが、まあ気の弱い彼が言っているのだから余程調子がよいことが自覚されたのだろうと思い彼の要望に従った。  漢方薬が化学薬品に優るとは決して思わない。優る部分などほんの限られた領域だろう。ほとんどの命は現代医学によって救われている。世界中の頭脳が集積され日々新しい発見も積み重なっている。ただ、頭脳の集積もこんな僕の言葉を患者さんには言えないだろう。「自分は、手が震えて字が書けなければ困るようなエリートか」 「ちがいますよ、車を転がすことくらいしかできません」 真っ赤な顔をして照れながら笑ったのを見て僕は治ると思った。田舎の純朴な運転手と家族を救うことが出来た。救ったのは僕の漢方薬か品のない言葉か分からないけれど、治ればいい。