雑草

 少し大きな雨が降り、その後乾いた運動場は様子がずいぶんと変わっていた。運動場に足を一歩踏み入れた途端、いつもとは明らかに印象が違った。大きな池を見渡しているような感じだった。一面が平坦だったのだ。いつもならサッカーや野球部員のスパイクでいわば踏み荒らされた状態ででこぼこだったのだが、一面平坦で穏やかな表情をしていた。 サッカーのゴールの前や野球の内野グランドあたりは丁度湖面の波紋を思わすように、穏やかなくぼみが連なっていた。雨で砂が流れ鋭利な凹凸を無くしたのだ。高いところから幾筋かの水が流れた後も出来ていた。干上がった小さな川のようにも見えた。所々には何時顔を出したかと思えるような草が、まるで水草のように点在していた。何によって運ばれて芽生えたのか、一斉に顔を出した感がある。僕らが気がつかないところで自然の営みはやむことがない。そんなことにも気がつかなかった僕は如何に不自然な生活を送ってきたのだろうと思う。  年齢と共に、又置かれた状況と共に見えるもの聞こえるものが違ってくる。極端に水はけの良い運動場の砂の上にやっと根付いた草たちを抜かないでと学校に頼みたくなった。草が運動場に一面に生えても構わないのではないかと思った。手入れさえすれば草だって芝生のように見える。転んだときのクッションにでもなる。雑草などととんでもない名前を付けられて不用のものとするには緑が濃すぎる。あの生命力こそ見る人に勇気をもたらすのだろう。はいつくばって、踏まれても踏まれてもそこに存在し続ける雑草のように扱われる多くの人達に。