草木

 いつもと違う光景には、例えそれが些細なものでも目がいく。敵を察する動物としての本能かどうか分からないが、とても敵にはなり得ないものの変化にも気づいてしまう。 こんな所にも花が咲くのかと、いくつもの気付きを今朝もした。やっと秋の気配を感じることが出来るようになったかと思うと、秋に咲くべき花たちが一気に、しかし結構遠慮気味に存在を示す。  駐車場の丁度車輪に踏まれない辺り、テニスコートのフェンスの外側、主の居なくなった空き家の石垣近く、いつどの様に命を運ばれてそこに住みついたのか突如視界に気配として入ってきた。人為を感じさせない絶妙の命の場がなんとも奥ゆかしい。花の名前を全く知らない僕だから、それらに名前があるのかどうかも知らない。ただ雑草ではないことはさすがの僕でも分かる。回りの草とは比べものにならない背の高さ、花の大きさ、色彩の鮮やかさ、どれを取っても草ではなく花なのだ。 それにしても僕らはまだ辛うじて動物で留まっている。誰が名付けたのか知らないが草食系男子という言葉を良く耳にするが、男女とも草食に留まらず草木そのものに近づいているように思う。草木は例え群生していても直接交信するわけではない。風の力か虫の力を借りて交信する。行動して直接交わることはない。動物は移動の手段を持っていて、交信を目的化して移動する。意志を伝え確認するために移動する。動物とはよく言ったものだと思う。その動物が、直接出向き、直接交信し、意志を確かめ合わなくても済む手段を手にしてから、直立不動で咲く草木になった。草木でも発達した通信手段を用いれば、動物と同じように交通できるのだ。移動は最早交信の絶対的な条件ではなくなった。 少しずつ直立不動の人達が増える。スマートに社会の中に咲く人達が増える。無用の摩擦も不快な感情もすべて避けて通ることが出来る。風にそよげば傷つけることもなく傷つくこともない。摘まれることもなく踏みつぶされることもない理想郷だ。  朝早く空き家に住みついている野良猫が、フェンスの外側で太陽の光を待ち、駐車場で石を投げられた。草木は凛としてただたたずんでいた。