不幸

 またまた便利な薬が出来るようで、セールスが宣伝にやってきた。病院の処方箋で投与する抗生物質なのだが、ドライシロップ(水に溶かして飲む)が、器の中に最初から秤量されていて、患者さんが持って帰ったらその器に水を入れてできあがりって言う優れものだ。僕が子供の頃、粉のジュースが流行り、しばしば水で薄めて飲んでいたのと同じ理屈だ。それが最初から使い捨ての立派な容器に入れてあるってのが違いだ。薬剤師が粉を量る必要もないし、簡易の容器に移す必要もない。安全が担保され、簡便になる。便利で安全で大歓迎だ。  それが小児用か大人用か確認しなかったが、日本人の単なる風邪や傷を治すのにこの便利な薬がいずれ使われ普及するだろう。恐らくその一人分の薬でアフリカで風土病や飢餓で死に行く子供達を何人も救える。人の命に差はないと教科書的には表現されるかも知れないが数十倍の差がある。先進国のちょっとした贅沢を止めれば、ほとんどの飢餓や病気を救える。それをしないで、指導者面しているのは不愉快だし、そんな人間しか選出しない人達も不愉快だ。また、映像でさも涙を誘っても、馬鹿タレントが涙を流しても、番組は商品でしかないのだ。その商品代全てを寄付すれば何万人助けることが出来るだろう。  どうして善意溢れる人達は力や経済力を持っていないのだろう。旨くできているものだ。生まれながらにして不幸なんてのが許されるのだろうか。善意だけでは救えない不幸があること自体不幸、それを救えないことも不幸、それを救わないことはもっと不幸。