即断即決

 目が覚めたらもう昼を過ぎていて、追試、再試の教科の試験は終わっていた。その瞬間1年留年が確定。朝方まで、一夜漬けの勉強をしていて、不覚にも眠ってしまった。でも後悔など全くなかった。その科目の試験をクリアしても、まだまだ一杯危ない科目は残っていて、どうせ避けては通れない部類だから、なんだか留年の正当な理由が出来たみたいで逆にさっぱりした。巷の感覚では、1年棒に振ると言う事になるのだろうが、そんな感覚は全くなかった。向こう1年が、一瞬の感性で決められる。  その後色々な岐路にたたされたが、判断はそれこそ一瞬の作業だった。即断即決タイプで後悔しても、その後悔を穴埋めできる自信があったから、判断を下す早さだけは衰えなかった。ところがその早さにかげりが出始めている。特に、何か人の役に立てるような場面で、判断が遅くなっている。明らかに正しいこと、人の役に立てれることで逡巡している。何を照れているのだろうと我ながら情けないけれど、小さな善意にすら照れている。なんとかそれを克服して、行為を避けることだけはしないようにしているが、それでも短い時なら、数分、長い時には1ヶ月単位のためらいを経験する。  それとも、考えるのも恐ろしいが、小さな善意でも、その瞬間に、代償を頭の中で計算しているのだろうか。失うものを計算しているのだろうか。煩わしさ、時間、金銭、労力、何も費やさず、小さな善意もあり得ない。自分の持っている些細な何かを差し出して善意も成り立つ。なのに犠牲にする何かを頭の中ではじき出しているのか。そんな計算尽くのものなら善意ではなく欺瞞だ。  「はい」と答えてから後悔していた頃の方が余程純真なような気がする。思慮深さと言う便利な言葉の陰に雑念が見え隠れする。