およそ繰り返してみる夢はこの夢だけだ。昨夜も見て又うなされた。何回見ても、細部に渡ってほとんど同じ夢なのだから余程その情景がインプットされているのだろう。 夜が明けたのはもう随分前だ。大学で試験が始まっている。試験を受けに行かなければ又留年する。勉強は全くしていない。そもそもクラブの先輩や同級生から回ってくる山しか勉強しないのだが、今回は山も勉強していない。全く白紙の頭で教室にいる。問題が配られてもなにも分からない。でも毎回何となくその場面で気がつく。僕は大学を卒業している筈なんだけれど、国家試験にも合格している筈なんだけれどと。何で今試験を受けなければならないのだろう。いやいや、もう受けなくてもいいはずだから堂々と教室から出てやろう・・・・そして目覚めて罪悪感にさいなまれる。  何故今又こんな夢を見たのだろうと朝からずっと今まで引っかかっていたのだがさっき気がついた。昨日ある看護師さんの息子さんが、今春理学療法士の国家試験を受けるらしくて、その事をとても心配して母親の心情を長い時間吐露されたのだ。その話の中で僕が自分の国家試験の体験を話したので、その話が夢を引っ張ってきたのだろう。犯罪者が夢でうなされて出頭したなんて話もあるけれど、まんざら嘘ではないような気がする。夢でうなされるのは結構しんどいものだ。国家試験でこのくらいだから犯罪だったら尚更だろう。もっとも心の隅で多少とも後悔していないと夢も見ないだろうが。  僕の国家試験対策など、いやいや僕と同類の先輩や後輩全て同じだと思うが、当たるも八卦、当たらぬも八卦の世界なのだ。元々大学の試験からしてそうだったが、山が当たれば進級して、はずれれば留年と、およそ修学した知識などとは無縁の要素で結果が違っただけなのだ。そもそも修学どころか教室にも入らないのだから知識など皆無だ。1年に2回、数日間過酷な丸覚えの行をし、博打をしていたようなものだ。いっそのこと、試験などせずに畳の上で半か丁かをやってもらっても結果は同じだったかもしれない。 このような薬剤師が作る漢方薬をもう5,6年飲んでいる看護師さんにとってはひょっとしたらぞっとするような話だったかもしれないが、帰るときには結構明るく笑っていた。僕には成功体験が余りないので、希望に溢れるような話は出来ないが、足を引っ張る話ならいくらでも出来る。立ち直れる挫折ならいくらでもすればいいが、立ち直れずに長い間うずくまって暮らしている人が一杯いる。紙一重で救われ、紙一重で取り残される。僕は力つきるほど頑張らないで紙一重で救われる余地を残しておくべきだと思っている。人生そんなにいいこともないが、悪いこともそんなにあるものではないと言えた時代はもう遠ざかっている。戦うから敗者になるので最初から戦わずに生きていく選択をするのもこれからは必要だと思う。勝って幸せを保証されることもないのだから。ほんの少しの善意と、逃げ足の速さと、追いかける雲があればいい。