恩人

 これも時効。  僕が卒業した薬科大学特有のものか、何処の大学でもあるものか分からないが、それはいつか確かめておきたい気もする。悩み多きあの頃だったが、それはどうあがいても越えられる壁とは思わなかったから。  廊下に沢山の生薬がケースに入れられ整然と並べられている。その一つ一つには当然、名前が付いていて成分は同定され、薬効も確かめられている。名前と言っても、日本語は勿論、英語、ラテン語の呼び方があり、化学式はいわゆる亀の甲で現される。  3年生の時だったのだろうか、生薬の鑑定試験というのがあった。助手が数ある生薬の中からアットランダムに選び出し、学生に質問するのだ。まずそれが何という生薬か覚えなければならない。種の起源も言えなければならなかったような気もする。呼び名も3カ国語で言えなければならないし、主成分を構造式で書けなければならない。又どの様な働きがあるのかも言えなければならない。僕はその課題を発表されたとき、早々とブロッキングが起きてしまった。一瞬にして「到底無理」と判断した。何日も前から休み時間になると、学生はその廊下に集まって、懸命に覚えていた。ブロッキングが起きてもやはり試験は受けなければならないし、必ず乗り越えなければならないので、仕方なしに何度か足を運んだけれど結局はほとんど覚えられなかった。 案の定、試験の日、1問も答えられなかった。何日かおいて再試験があるのだが、せっぱ詰まってもほとんど覚えることは出来なかった。これも当然合格しないと留年だ。再試験の日も、助手のピックアップする生薬は全く分からなかった。僕は助手に向かって「絶対無理、永久に覚えられない。留年しても構わない」と言った。すると助手は困った顔をして「大和さん、どれなら分かるの?」と尋ねてくれた。これには驚いた。僕が覚えることが出来たのはほんの数種類だけで、かろうじて覚えているものを言うと「それならそれでいいです」と言ってそれを問題にしてくれた。かくして僕は助手の温情で留年、いや永久に卒業できない状態を免れた。結局他の多くの科目の欠点で留年したのだが。  その助手は年齢は僕と余り変わらなかったのではないかと思う。記憶によると岐阜女子短大を卒業して薬科大学に就職していた人ではなかったか。とても愛くるしい顔をして男子学生に人気があった。髪を胸まで垂らし、どう見ても勉強をするようには見えない僕に同情してくれたのかどうか分からないが、今では隠れた恩人だ。  僕の得意技。あきらめの早さ。