お土産

 こんな気の利いた上品なお土産を持ってきてくれるようになったのだと、その成長ぶりに我が子を見るような感慨に襲われた。突然やって来たけれど何の違和感もなく迎えられる。それこそ連絡なしに久々に帰ってきた娘のようなものだ。 もう薬はいらないから、立ち寄ってくれただけなのだ。その気持ちがとても嬉しい。僅か数年前、僕の前でお母さんと一緒に涙を流したのはもう別人だ。お腹のことで教師になる夢も失い、服屋さんのバイトをしていたけれど、それでも隠れるような日々だった。人と接することが出来ずに、実測出来ない心の果てしない距離を保ちながら、孤独に生きていた。静かな場所、人と接する場所は恐怖の空間だった。そんな場所にこそ人生が刻まれるのに。 そんな彼女が、九州の病院に実習に行ってきた報告をしてくれた。担当したある患者が、まさに過敏性腸症候群も併発し心を閉ざした方だったらしい。ところが彼女が自分の体験を話すと、急に心を開いてくれたらしい。それからは、彼女の作業療法士としての実際のお世話がスムーズに出来たらしい。彼女には「人生に無駄な事なんて何もないよ」と常々言ってきていたが、まさにその言葉を体験してくれた。ついでにもう一つ彼女がそれに関連して教えてくれたことは、服屋さんでバイトしていたことも大いに役立ったらしい。服の話をすると多くの患者さんが乗ってきてくれるのだそうだ。あの頃苦手な会話をお客さんと仕方なくしていたことが役立っているとも教えてくれた。  来春には国家試験を受けて恐らく病院勤務が始まる。お腹が治るに従って、自分から作業療法士になりたいと言ってきた。そしてその夢があと半年で叶う。生涯通用する国家免許と共に新たな世界に飛び出す。僕のことを偶然知って本当によかったと言ってくれたが、僕も彼女に知り合えて本当によかった。一人の青年が悶々と孤独のうちに、見えない敵から逃げ続ける人生を余儀なくされるとしたらなんて不幸だろう。非力で失敗だらけの人生だったが、人の人生を全く闇から陽の当たる場所に転換できる機会を与えられて幸せだった。上手く行かなかったことばかりが役に立てる皮肉な巡り合わせだけれど、暗闇だからこそ星は見える。繊細な心、秘められた才能、かけがえのない個性、僕にはすべてがいとおしい。  涙を流して自分を責めていた母親が、いつの頃だったか笑顔で言ったことがある。「お医者さんと結婚してくれないかなあ」いい加減にしろと思ったけれど彼女ならまんざらその可能性もないではない。悲しみの味を本当に知っている人だから。