ランク

 有名な航空写真家が最も東京らしい光景として上空から写したのが渋谷のスクランブル交差点。テレビで信号が変わる瞬間を上空から写していたが、それこそ、四方から蟻が一斉にこぼれた砂糖めがけて集まるように、人間が一杯複雑に交錯していた。世界でこんなに人間が一斉に渡る交差点はないと言っていた。地上に降り立って、その交差点を訪れた写真家が言っていた。「見えるものは全て消費を促す看板で、それ以外のものは何もない。人はここで群れていれば安心するから集まっているのだろう。得ることは何もない場所だ」と。  僕はそこに行ったことはないが、同じような感覚にはしばしば陥る。時々勉強会で大都会にも行くが、目に付くのは広告に煽られた人々の大群だ。大仕掛けな消費を喚起する仕掛けに、易々と乗っている人達のように思える。何かを買うこと自体が目的になって、必要最低限のものなどと言う言葉は、改札口に切符と一緒に投げ捨てられる。  1月に1回だけ肉を食べない日を世界中でつくれば、想像を絶する地球環境に対する貢献になるらしい。たった1日、食べなくても何でもないし、肉どころか、衣服、娯楽、何でも協力できる。いや、もうしている。欲しいものがないのだから、十分貢献している。物は使い切るのが原則だ。物が溢れる部屋より、何もない広い部屋の方が贅沢だ。あらゆる知恵を絞って押し寄せる欲望の波に押し流されないようにしなければ、人生を集めた商品、消費した商品で評価されてしまう。贅沢を演出され、なけなしのお金をそれに費やし、そのお金が集まる人達を贅沢にしてやる必要はない。質素な食事、質素な衣服、質素なたたずまい、それらに満足できる心が一番贅沢なのだ。心の豊かさを測る物差しがあったら、この国はどの辺りのランクになるだろう。さしずめ今の僕は人生のブランクなのだが。