完敗

 もし100才の方が、トラクターに乗り、県道をとりたての重量野菜を積み農協に出荷のために急いでいたら、どう思う。その方が空になったトラクターで帰り道、薬局に寄り自分の薬を買うとしたらどう思う。もうほとんど完敗で乾杯。  何かを成し遂げる人達は一杯いる。マスコミを賑わす賑わさないは別にして、多くの方が色々な分野で成功を収める。それなりに心に留まることもあるが、完敗とは思わない。そして乾杯する気にもならない。持って生まれた才能か、努力の結果か、運の良さか分からないが、それらが特別圧倒されるほどの力を持っては迫ってこない。  でも100才にして働き稼ぎ、自分のちょっとした病気は自分で治しているとしたらこれはどうだ。ふと尋ねてみたくなって知った年齢に、畏敬の念を禁じ得なかった。これは出来ない、出来る人は滅多にいない。有名人に会った以上に、いや、そんなもの比べものにならないくらい感動した。  別に健康を目標にして生きてきたわけではない。懸命に畑を耕しただけなのだ。温暖な地で百姓に勤しんだだけなのだ。その生き様に与えられた褒美なのだ。健康を掴むために多くの人がお金を使い、裏切られ、又鵜の目鷹の目で次を捜す。健康のためなら不健康な思考も許されて、安易な手段に身を投じる。無欲を教えてくれる人もいないから、欲に駆られて健康をわしづかみにしようとする。ひょっとしたら健康は貪欲に追い求めるものではなく、心安らかな人に、愚直な人に与えられるものなのかも知れない。70歳代と勘違いしたその人を見ていてそう思った。完敗で乾杯。いや、完敗で完敗。