ノックダウン

 筑紫哲也が亡くなって後、惜しむ声が色々な局の色々な番組で報道されている。戦友と呼ばれる人達、あるいは後輩にあたる人、何となく頷けるが、昼の健康(?)番組で日本中を騙し続けている男が同業者と言ったのは笑えた。マスメディアの寄生虫みたいな男が、まさかこの国の座標軸を目指しているのではないだろうな。  僕にとってテレビはニュースを見るためにある。仕事が終わって、ニュースのはしごをしながら頭と身体をクールダウンしていく。毎晩夢ばかり見、目が覚めたときには身体がぐったりしているから、実際にはクールダウンしてはいないのだろうが、他にその時間帯に何かが出来るほど気力も体力も残ってはいない。ほとんどぐったり状態で仕事を終える。クールダウンよりノックダウンかもしれない。  僕が今、考え方を参考にしているのは、名前は確か「テラシマ」と言ったと思うが、西郷隆盛みたいな体格と顔をした人だ。時々テレビで見かけるが、ついつい聴き入ってしまう。ボリュームを自然と上げてしまう。聞き漏らさないためだ。他のどんなコメンテーターとも違った視点で物事を分析し提言する。しばしば沢山のコメンテーターを番組に配置するが、彼だけにしてもらいたいと思うほど、他は頼りない。ましてその中にタレントなどが含まれていると、時間を返せと叫びたくなる。  困難な時代に煙幕を張るかのようなテレビ局の低俗ぶりに、憤慨しながらテレビのスイッチを入れてしまう自分が情けないが、若者がテレビを見なくなったというのは救いだ。車に乗らなくなったと言うことほど貴重だ。片や精神が、片や地球が救われる。強きを挫き弱きを助けるものなどが存在するなどとも思わないし期待もしていないが、そんなものが出てくる余地が今のところないことが、この国の救いかもしれない。