実体

 ある集まりで、イベントの役員選出と作業内容などの検討会があった。僕が一番若くて、いわゆる唯一の現役世代だ。一回りくらい上の人が多いのだが、共通した感想は、皆さん有り余る時間と、体力と、好奇心を持っていると思った。付け加えれば、経済的にも安泰なのではないかとも思った。経済的な裏付けがないとなかなか人の世話など出来ないだろう。あの世代の人が、この国の貯金のかなりの部分を持っているらしいから、あながち僕の想像は間違ってはいないのではないか。それよりもむしろ若い人の集まりに行ったほうが、経済的な不安定さが気になってしまう。僕は立案のところでは深く関われるのだが、実際の現場では仕事の関係で不可能だ。要はそのイベントの時間は働いているのだ。単純だけど一番わかりやすい。でもそれがなかなか受け入れられなくて、若干のブーイングがあった。  年配者が持てるものを利用してよく勉強し社会に貢献している。若者は、ひたすら働き、遊び、ぐったりしているからそれ以外に余力はない。だから経験も知恵も付きにくい。インターネットを伝わってくる実体のない知識は幾ばくかはあるかもしれないが、形も温度も硬さもない。年配者は利害に敏感だが、若者は利害を主張する智恵もない。与えられることよりむしろ一方的に奪われているように見える。  もう長い間、集団としての若者の「NO」の声を聞いたことがない。余程満ち足りているのだろうか。満足と従順は似て非なるものだ。物事を検証して満足しているのならいいが、検証もせず従順なのはよくない。取り返しのつかないものは、いつも従順の向こうから勇ましくやって来るから。