どこに行くにも手ぶらだったから鞄などと言うものを持ったことがない。高校を卒業してから縁がない。今でも荷物があれば、コンビニのビニール袋に入れていく。途中で破れれば、何か一品買い物をすれば手に入る。  円高で韓国に行けば免税店で高級ブランドが安く買えるらしい。日本からも沢山の人が買い物に行っているが、どうも買っているものが必需品かどうか疑わしい。何万円もの鞄を買い、それで運ぶものがあるのか、何万円もの財布を買い、その財布に入れる札束があるのか、その中身の方が気になるが、そちらの方は二の次らしい。元々外見を競う人達だから、中身にはあまり興味がないのかもしれない。人間自体も、中身を磨いている節がない。これを買えば、動物が1頭、は虫類が1匹殺されるなどと連想すればなかなかお金と交換でつかの間の物欲を満たそうとは思わないものなのだが。自分の部屋に帰ればいったいいくつの動物の死骸が転がっているのだろう。その種のものを買えないもののひがみかもしれないが、興味が全くないことに感謝する。生涯でどれだけ倹約を、それも痛みなしで出来たのだろうかとほくそ笑んでしまう。  そのほくそ笑んだ結果は残念ながら手元には残らなかった。でもいい、それが丸まる残りでもしたらどれだけ道を逸れていただろうかと恐ろしくなる。持ったことがないようなものを持つと、いつも持っている人みたいに理性が働かないから、ほくそ笑んで手にしたもの以上を失うに決まっている。  中小企業の決算ではないが、収支トントンでいい。ほどほどの喜びとほどほどの悲しさを織り交ぜて、ほどほどの旅が出来ればいい。勿論買い物ツアーではなく人生の。