どうしても手術をしたくないという方を世話して半年、久しぶりに訪ねてきてくれた。もう脊椎管狭窄症は治って仕事をし、新たなトラブルもないので雑談を楽しんだが、田舎に住んでいる僕だって「怖い、怖い」を繰り返した。  その方が住んでいるのは隣の市だが、車で20分もあれば来れるのだと思う。とてもそんなに近くに住んでいる人の話とは思えなかった。ただ、牛窓みたいな海辺の町ではなく、小高い丘が続いているような所に住んでいる。  定年後親が残した田や畑を受け継いで百姓をしているらしいが、蛇がやたら多いというのだ。農家の後継者が少なくなって、田や畑が放置され、自然の力か植物が鬱そうと茂りだし、山に帰っているのだ。以前ならはっきりと山と耕作地は別れていたが、今は区別が付かないらしい。回りの田圃に迷惑をかけてはいけないから、草を刈るのだが、茂みに入ったらすぐに5匹くらいの蛇と遭遇するそうだ。一度に複数の蛇を見ることもあるらしい。こんな太いのもいるよと指で輪を作って教えてくれたが、人差し指と親指は遠く離れている。まさか熱帯でもなかろうと思うのだが、天敵から離れてノンビリと成長しているのだろうか。蛇の名前も3種類教えてくれたが、まむし以外は分からなかった。蛇が多いことで有名になったのかどうか知らないが、草を刈っていると蛇を取りに来るプロが現れたらしい。獲って売るそうだ。どうするのかと思えば、それを食べるような料理店があるらしいから驚きだ。見ていたら簡単に捕まえるらしい。元田圃の茂みに沢山蛇がいるからどうぞというと、さすがにプロもまむしは怖いらしくて、あぜ道がないところには入っていかないらしい。 後学の為に一つ受け売りの蘊蓄を。いくつもの田圃に水を引く水路が個別の田に別れるところが一番まむしがいるところなのだそうだ。その水路には絶対手を入れるなと言い伝えられているらしい。水路が草で詰まっていたら、鍬で草を退けるらしい。その為に今でもお百姓さんは鍬を担いでいるそうだ。水路のゴミは鍬で綺麗にし、もしまむしが出てきたら、鍬の頭で殺すそうだ。鍬は今でも必需品なのだ。  庭の木や倉庫の円柱形のものには抜け殻が巻きついているらしい。どんな蛇が脱皮したのか分からないが、かなり長いらしい。財布に入れればお金が貯まるらしいから、さぞかしご主人はたまっているだろう。どの家も竹藪を持っている立派な農家ばかりだから、庭中抜け殻だらけらしい。  蛇と共に増えたのが、蜂とムカデとイノシシだそうだ。そう言えば夏のある日の早朝、蜂に指先を刺されたと電話をしてきた。もう30分は経過していたと思うから、死なないから大丈夫と安心させたのを思い出した。蜂とムカデは刺すからいやだし、イノシシは作物を荒らすからいやだし。なかなか山里は大変だ。人が沢山いて、里が手入れされていたときには問題なかったのだろうが、人がいなくなって、山が近くまで迫ってきたら闖入者が絶えない。  海辺に育ったから、山のことは分からない。一つ一つの話にただただ驚いているばかりだった。僕らが日々口にしている作物がこんな危険と隣り合わせで作られ、それも老いたお百姓の手で栽培されていることに驚きと感謝が交錯する。陽の当たるところで働く陽の当たらない人々に頭を下げずに誰に下げるのだろう。