人並み

 同世代の人に比べたらなんて運がいいのだろうと言うくらい健康に恵まれている。それなのに10年近くもパニック症状だけ抱えていて、一気に人並み以下の生活を余儀なくされている。1週間に一度近所のスーパーに買い物に連れて行ってもらうのが唯一の外出だった。車に乗れば勿論、車から降りてスーパーに入ってもすぐに息苦しくなって呼吸が出来にくくなる。失神しそうなのをなんとか我慢して出来るだけ早く帰る。だから買い物は必要なものを最小限に絞って持って帰ることにしていた。この方が今日漢方薬を取りに来て、この2週間で出かけたところを一杯教えてくれた。僕なんかよりはるかに外出していて、早晩完全復帰するだろう。  実はこの種のパニック症状の方を現在進行形で5人お世話をしている。僕も経験があるから手にとるように分かるのだが、いてもたってもいられない、心の中から不快なものが込み上げてきて発狂しそうになる焦燥感は、見た目の正常さとはうって変わって、かなり辛いものだ。勝手な言いぐさだが、傷みの病気の方が耐えやすいなどとつい口から出てしまう。  この種の孤独な苦しみの中にある人をお世話するのは結構やりがいがある。何故ならその種の人は一般的な傾向として繊細さをもてあましているだけだから。繊細さの矛先が自分に向いているだけで、もしその大いなる個性を何か他のものに、出来れば何か生産的なものに向けさせることが出来れば、むしろ人様のお役に立てる可能性が高いと思えるから。この種の人はきっと誰もが少なからず苦手な人や役割を心の中に持っていて、なおかつその人や肩書きに負けていて、体力が何らかの理由で落ちたときに運悪く発症しているのだ。全員が心療内科にかなりの歳月かかっていて安定剤なるものを飲んでいるが、解決していないばかりかその事に対して罪悪感を持っている。僕自身に降りかかったとき、手を伸ばせば調剤室にいくらでもその種の薬はあったけれど、飲んだらお終いみたいな気がしていた。安易に手を出せる環境にあるから余計に手を染めることはしたくなかった。タバコ屋さんが禁煙をするようなものだ。  自分で試行錯誤したおかげで、と言うより漢方薬を作って飲んでから意外と早く完治して、その後同じような処方で沢山のパニックの方に完治して頂いているが、気力体力を上げるという単純なことで心の病気も治ることを体験した。研究員の叡智や何十億という開発費をかけなくて、単なる薬草で治ったりしたら怒られそうだが、心のトラブルでも自然治癒を追求してみる事も大切なような気がしている。ずっと患者として安定剤を飲むことを思えば国の医療費削減にも役に立つなんて大きな事を言う気はないけれど、何ら後ろめたさもなく普通に暮らすことが出来る楽さは何にも代え難い。心も身体も、ついでに財布の中身も人並みで充分だ。