迷い道

 まめな方ではないが、記憶力には自信がないから、拾い集めた知識をコツコツとノートに書き込んでいる。何々流というような純血の勉強をしていないので、雑種もいいところだ。だから、血統書付きの偉い先生と話しても、用語すら分からないことが多い。所詮田舎の薬局だから、困って訪ねてきてくれる人の数も程度もしれている。30年間でどれだけの人と接したのか分からないが、奇病難病なんかお目にはかからない。ごくありふれた日常の不調をお世話しているだけだ。  今日も新しい知見を得たので、書き加えようとした。丁度その内容が入るべきところが一杯だったので、バインダー式の用紙を1枚用意した。新しい用紙で蛍光色に光っている。茶色に焼けた用紙の間に挟んだ。その色の差たるや、30年の歳月を感じさせるものだった。まるで父が使ってたノートを覗いているような錯覚に陥る。よくもまあ30年も破れることなく、インクが消えることなくもってくれているものだと感心する。感謝すると言ったほうがより的確な表現かもしれない。今主流のコンピューターでも、これくらい保存が利くのだろうか。いやいや、もっともっと比べものにならないくらいもつのか。懐古趣味ではないが、手書きのノートの方をむしろ信頼する。ボールペンの方を信頼する。一言も聞き逃さないと懸命にくらいついた青年の僕を信頼する。  知らないことは知らないと言い続けた。おかげで、多くの方が知恵を授けてくださった。その都度書き加えたものが行間からはみ出る。正解がない作業、数学のように答えが一つではない作業を毎日続けてきた。そのノートの中の迷い道を先導してくれた師が今体調を崩している。思えば、自分の身体は二の次の方ばかりに智恵を頂いてきたような気がする。