松葉杖

 いつも車のトランクに釣り竿を積んでいて、その日焼けぶりから、かなり通っているに違いない。僕より一回りくらい年下だと思う。その彼が今日は、松葉杖で薬局に入ってきた。松葉杖を旨く使いこなせていないから、恐らくつい最近使い始めたのだと思う。包帯を止めるテープがいるらしいから、様子を尋ねてみた。するとかかとの骨が折れているらしい。なんでも、2メートル上から飛び降りたらしいのだ。何でもないことと思って、安易に飛び降りたらしいが、結果は彼の予想通りには行かなかったらしい。スリムで如何にも身軽そうだから、華麗なる飛び降りでも出来そうな人だが、無惨にも病院行きとなった。同じような人はいるものだ。若いつもりが結構トラブルをさそう。 想像の範囲は出ないが、僕はバレーのし過ぎで骨格系(首と腰)を痛めた。堅いコンクリーの上を30年ジャンプし続けた。そのせいで、不調は動いて治すものと癖が付いていて、最後の方は、セットの間、腰痛体操をしながらバレーをしていた。何とも無謀なことをしていたなと今は思うが、「嘗て」から脱出知ることが出来なかったのだ。身体の衰えを確かめることを避け、「嘗て」と同じレベルを誇っていたのだ。外見はいざ知らず、内部の衰えに気が付かなかった。何回か最悪の状態を経験してやっと悟った。ああ僕は老いているのだと。それからは、何とか現状維持を目指すことに方向転換した。悪化しなければいいくらいの謙虚な気持ちにやっとなれた。現在は少しの時間だが歩くことを心がけている。ハードなスポーツをやっていた僕からしたら何とも頼りないが、一番自然な動きだとやりながら感じることも多い。もう一度だけ、走ってみたいと、ジャンプしてみたいと思うこともあるが、もうかなわぬものと自制している。人間は走るものでも飛ぶものでもないのだと、こじつけた理屈でブレーキをかけている。  それにつけても夜の体育館から漏れる歓声はうらやましい。嘗ての僕がそこに一杯いる。そして、その中の何人かが今の僕になる。楽しんだ分おつりが来る。程々を知らしてくれるサインはなかなか届かない。たかが2メートルでも清水の舞台になることだってある。昨日と今日に何の差があろうかと思うが、いくつもの昨日といくつもの今日を重ねれば、雲泥の差がある。残念。